見出し画像

人生ゲーム分岐ポイント 〜長期療養後は人生を変えやすい?〜

習慣のチェーンが途切れてしまった

最近読んだ本の中で私に大いに影響を与えた本がジェームズ・クリアー著「ジェームズ・クリアー式 複利で伸びる1つの習慣」である。
超絶ざっくり要約すると

・人生の全ては日々の習慣の積み重ねによるもの。
・それら習慣とは、日々の極小さい習慣から形成されるもの。
・小さな習慣は一見、なんの成果も生み出さないが、仮に毎日1%の改善に向かうのであれば、1年後には37倍もの大きな改善となる。

世の全ての成功者達は、すべからく才能を持ち合わせ突然結果を生み出したように言われがち(そう見えてしまう)だが、全くそんなことはない。蓋を開いてみれば、本当にそんな事で?と思うような小さな行動やマインド、儀式のような事までも行なってきたというのがほとんどで、複利的に大きくなった結果である。
日頃の努力と言えば有り体に聞こえるが、その実を細かく見ていけば、その日頃の努力は殆どの人間に可能である。

そして、それを実践していた私ですが、4ヶ月目にしてそれが完全にブチって切れてしまいました。

お盆前の夏バテ→実家帰省→やんわり体調不良→月末旅行→コロナ感染

と8月頭から9月上旬の現在に至るまで日頃のルーティンを行えなくモヤモヤすっきりしない状態でした。

病気療養後が変化しやすい?

日頃より免疫とかには人一倍気を使っていたのですが、コロナに罹り使いたくもない有給を使い休んでいます。今週は仕事も立て込んで、更には会社全体の集会(他の部署の人とも会えるのでお楽しみ会要素もある)もあったので、何かと盛りだくさんだったのに全部吹っ飛びました。

UNDERTALEコンサートツアー。同居人の付き人として来たので私は本作を全く知らない。でも良かった。
ミャクミャクがムカつくのでメンチを切ったり、
水族館ではしゃぐ子供おじさん
オチ。



そんな病床に伏せ、軽く落ち込む私ですが、ここでふと思う事があったのです。

長期療養後の俺って一番脳みそキレてるよね?

って。

つまり何が言いたいかって、病気で長期間休んだ後は心身ともにスッキリ!リフレッシュして冴え渡る感覚があるのです。(これって医学的に説明できたりするんでしょうか?)
ひたすらウイルスと闘い続けているからなのか、寝てるからなのか、何もしないのいいのかもよく分からないですが、災い転じて福となす状態になっている?気がする。
前回コロナになった後、本格的に彼女のために移住という苦しい決断を現実に実行したのも、恐らくこの反動というか、バネに溜まった力を利用出来たからだと思います。

だとしたら、何もせずにそのまま日常に戻るのも勿体ない気がしてきました。
別に仕事を休みたかった訳でもない、なんなら有給残り少ないのに使って勿体無いくらいの気持ちなので、どうせならプラスで持ち帰りたい。

何する?

んで、何しようという話なのですが
思いつきなので書きながら整理していくスタイルにします。

①最少習慣の見直し
最近、出来ることと出来ないことがハッキリ分かれているのに気づきました。基本、朝のルーティンは気持ちよくこなせていたにも拘らず、夜はほぼその日の調子に左右される。これでは習慣とは言いません。逆を返すと、それを出来ないのには何らかのネックが存在し邪魔になっている=難しいという公式にハマった可能性が示唆する事が出来る。
詳細は後に回す事にして、習慣の見直しは割と優先と高めかも。

②運動しろ?
最近太ってきました。なんか全体的に肉付き良くて良くない。食生活はニワカ栄養オタクなので常に勉強はしてるので問題はないとは思われますが、摂取カロリー>消費カロリーなのは間違いない。つい2年前の前職就業中の1日の歩数を見ると8,000〜12,000歩/日だったのですが、現在は2,000〜4,000歩/日程度です。基礎代謝も落ちているでしょう。そう考えると今足りないけどやろうやろうでやってないのは、運動なのかな?と思います。

②副業したらどうか?
月手取り23万と正直地方でも底辺レベルの収入なのですが、それだけで食っていこうとするのも、出来ると言えば出来る。しかしながら、色々後先考えて無さすぎるので、何かしら副業という形でアクションを起こすのは如何でしょう?という自らへの提案。失敗恐怖症的な部分が否めないので、自分で突っ込んで滑る経験値を積めるうちに積んどがないと、今後やる時間はめっきり減りそう。勤め先は幸い副業は申請すれば可能なので、もし収益化しそうであればその際正式に伝えれば問題はないはず。30だからとチャレンジをやめるのはまだ早い。

④英語やりたい
ずっと言ってる。途中で投げ出したの何回目か分からん。理由は明らか。「別に使わなくても生きていける」「仕事に繋がらない」という思想が抜けきらないからだ。こういうタイプの人間は一度英語圏に着の身着のままぶち込んで無理にでもコミュニケーション取らないと死ぬみたいなショック療法を実行しないとやらない気がする。なのに一丁前に英語は読みたい書きたい喋りたいだのと。
いい策を練りたいものだ。


終わりに

一気にやると出来なくなるという事は分かっているので、不要なものをどう除き、やりたい事をどう上手く練り込んで実行するのかが大事になる所。
今回はいっときの迷いでありちょっとした決意の表明の切れっ端なので、やらなくても誰も叩かない。疲れないようにボチボチやっていきます。

恐らく明日あたりから同居人がコロナりそうなので、その準備に備えつつ過ごそうかと思います。

いいなと思ったら応援しよう!