因縁の本
昔、大学の通信教育課程というものに在籍していたことがあり(根性なしの私は結局卒業できなかった)第二外国語で私はドイツ語を選んだ。初めてのスクーリングの最終日に試験があった。それは映画「ブリキの太鼓」のビデオを教室で観て、感想を書くというものだった。覚えていないが、きっと大したことは書けなかったはずだ。私は今でも感想文が苦手である。
けれど、映画の印象は強烈で、結局また自分でビデオを借りてくることになり、次には原作が読んでみたくなった。そこで、集英社文庫版の全三巻を買い求めた。が、読み進めることができない。面白いのだけれど、どうしても途中で投げ出してしまう。というより、逃げ出してしまうのだ。そんなことを二度ほど繰り返し、結局その本は手放した。
けれど、物語の方は私を手放してくれなかった。最後まで読めなかったという心残りがなぜだかいつまでもくすぶり続け、何年後だろうか、河出書房新社から新訳が出たのを知った。そして、私はその新訳で同じことをまた二度ほど繰り返すのである。発売されてすぐに購入した覚えがあり、奥付では2010年発行になっているから、読み切れないままさらに10年以上が過ぎたことになる。
突然話は変わるが、諸般の事情により私はただいま現在、この本に初めて出会った若い頃のように暇である。客観的には暇などとのんきなことを言っている場合ではないのであるが、まあ、とりあえず主観的には暇である。こんなチャンスはしばらくないだろう。
今度こそケリをつけてやろうと思った。
自分を励ましたり、なだめたり、すかしたりしながら三日間ほど集中して読み続けた。勇気を振り絞って、とまでは言わないが、ほとんど何かと戦うようにして読み進める。なんでこうまでして読まなければいけないのか自分でもよくわからなくなる。いい歳をして、日がな一日、何やってんだかとも思う。だって、言ってしまえば、ただの小説なのである。
そして、今回はついに読み終えた。約600頁の二段組み。いや、敵はそのボリュームではないのだ。ましてや退屈なんかでは決してない。
私は、この小説がずっと怖かった。これまで何度も撤退してきたのは、怯んだからだ。魅了されながらも、そのグロテスクさや残酷さに分け入っていくことがどうしてもできなかった。私はそれなりに成長したのか。それとも鈍感になったのか。
結局、今回とて文字を追いながらも時には心の目を閉じて見ないふりで通り過ぎるような読み方をした私に、この本をご紹介する資格はない。ましてや私は現在でもこの本と出会った当時と同程度の貧しい教養と稚拙なメンタリティで日々を送っており(誠に嘆かわしい)、批評じみたことなど書けるわけもない。ただただ、こういう読書体験がありました、ということを書き留めておきたいと思っただけなのであった。
たまたまこの記事を目にして作品のレビュー的なものを期待された方がいらしたら、ただのわたくしごとで申し訳ありません。お詫びいたします。