悠帆堂

心に浮かんだどうでもいいようなことを山なし谷なしオチもなしな感じで。

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最近の記事

続・どこにも行けないときの本

連休が終わる。 関東はさわやかな好天に恵まれ、私も1日だけ出かけた。が、その他は家でごろごろごろごろとしており、なんだか昨日と今日の区別がつかない。 そこで、前に「どこにも行けないときの本」ということで書いたものが一冊で終わってしまい、他にもこのくくりでお話をしてみたい本がいくつかあったので続きを書くことにした。 いつになく長いので、ムリしなくていいです。あんまり得るものはないと思います。ごめんなさい。 でも、私自身は何かやり遂げた気になって眠れる気がします。まじごめん。 そ

    • 横濱ジャズプロムナードに来ませんか?

      またしても連休である。 先日の連休の時にはどこにも行くあてがなかったので、ここに「どこにもいけないときの本」ということで愚痴と本の紹介を書いた。 しかし、今日、私は珍しく午前中から外出した。そう、この連休の私はひと味違うのだ。(明日、明後日はやっぱり何も予定がないです) というわけで、いきなりくちゃくちゃのパンフレットの画像で誠に申し訳ないのだが、今日はヨコハマをぶらぶらしてきた。ぶらぶらしていたらくちゃくちゃになっちゃったんである。 横浜では毎年この時期になると「横

      • 吉村さんちとオサムんち

        連休最終日である。今日ぐらいはどこかに出かけようか思っていたが、今朝ぼんやりと洗濯機など回していると仕事のメールが入り、大した手間ではなかったので2時間ほど対応した。 どうせヒマでもんもんとしているのだから仕事をさせてやろうという心遣いか。ありがたいったらありゃしないもんである(ぶつくさ)。 というわけで、出鼻をくじかれたのでまたnoteを開いた。今日は、ちょっと前に吉村さんちに行ったのでそのことを書いて画像でも上げてみたいと思う。 吉村さんというのは作家の吉村昭で、私

        • どこにも行けないときの本

          連休である。先週も連休であった。どこかに行きたいなあ、と思うのだけれど、諸般の事情というか一身上の都合というか、言い訳ばかりで結局どこにも行かない。 私の諸般の事情というは昔から主に経済的な事情と相場が決まっているのだけれど、近年ではそれに加えて体力が落ち、夜目も効かず、大好きだったはずの0泊2日のドライブのような強行軍が億劫になってしまった。 気力に欠けるせいだろう。行く先々にやけに人が多かったりするのもしんどい。インバウンドだけではなくて、「なんで?」と思うようなとこ

        続・どこにも行けないときの本

          おはなしを創ってみたかった

          しばらくnoteがお留守になってしまった。 もともとそれほど強い動機やら高い志があって始めたことでもないので、やっぱりこうなったか、という感じではあるのだけれど、それでも目を止めてくださる方がいらっしゃるのが、やっぱりうれしい。 noteってすげーな、と思う。見てもらえるんだもん。 去年の終盤に、気になっていることはとにかくやっておこうと決めた。noteはそのひとつで、他にもカタチになるのやらどうやら自分もよくわからないアレコレにかまけている最中だが、そんなアレコレのな

          おはなしを創ってみたかった

          テキサスの困惑 ジャブローに苦笑い

          ガンプラをもらったので少しずつ作っている。 子どもの頃からの友人がくれたのだ。なんだかお誕生会に呼んだお友だちからプレゼントをもらいましたみたいな話だ。が、私たちはすでに小学生ではない。小学生から見ればお父さんより歳上である。ちょっと恥ずかしい。 プラモデルはだいぶ前のものらしい。溝の口の居酒屋でいっしょに焼き鳥などかじっていたところ、家に作っていないシャア専用ゲルググがずーっとずーっとあり、奥さんから「ジャマなのでいいかげんにどうにかしろ」と迫られている、という話になっ

          テキサスの困惑 ジャブローに苦笑い

          久里浜の煙突

          たまに横須賀市の久里浜あたりに出かける。 住んだことがあるとか職場があったとかそういったことはまったくなく、知人もいない。だれかといっしょに来たこともない。だから、これといった思い出もない。 ただ、なんとなく好きな風景や気配だけがあり、それがいいのだろう。 なにやら芋づる式に過去の記憶が引きずり出されて妙に気持ちがざわついたりすることもないわけで、どこにいても余計なことばかり思い返している自分には常々うんざりしている。 それでも年に何度かふらふら訪れていると、風景はそ

          久里浜の煙突

          いつだったか、住んでいた街

          日曜日の午後遅くになると落ち着かなくなる。日が暮れかけているのに家にいたくなくなったりする。土曜日から睡眠負債を返済し、過払い金が返ってくるほどぐうたらした結果、とりあえず疲労回復ということなのだろう。 ただ、そんな時に出かけたくなる先を考えると、それって本当に回復したんですかねと思う。かつて住んでいた街のいくつかがどうも気になり、行ってみようかと妙に迷うことがよくある。 逃げたいのかもしれない。なんだ、ただのサザエさん症候群じゃないか。 駅からアパートまでの道や住んで

          いつだったか、住んでいた街

          新年の孤独

          年末から年始にかけて「現代語訳 江戸府内絵本風俗往来」という本を読んでいた。 最初は東洋文庫の「絵本江戸風俗往来」を古本で買ったのだけれど、字がとっても小さい。そりゃあもう小さい。ちょっとだけ眺めて放り出していたところ、角川ソフィア文庫から現代語訳だけのものが出ているのを知り、ラクなほうに流れてそっちで読むことにした。ヒマだとムダなことばかりする。 内容は、筆者が江戸時代の記憶をたどりつつ、往時のさまざまな行事や人々の暮らしぶりなんかを自筆のイラストをまじえて紹介するとい

          新年の孤独

          因縁の本

          昔、大学の通信教育課程というものに在籍していたことがあり(根性なしの私は結局卒業できなかった)第二外国語で私はドイツ語を選んだ。初めてのスクーリングの最終日に試験があった。それは映画「ブリキの太鼓」のビデオを教室で観て、感想を書くというものだった。覚えていないが、きっと大したことは書けなかったはずだ。私は今でも感想文が苦手である。 けれど、映画の印象は強烈で、結局また自分でビデオを借りてくることになり、次には原作が読んでみたくなった。そこで、集英社文庫版の全三巻を買い求めた

          夏の終わりの大掃除

          今年の年末は大掃除をしない。 少し前のことになるけれど、夏から秋にかけてばっさりと家の中を片付けたからだ。たかが賃貸の2LDKだから物量は知れたものだが、かなりのモノを思い切って捨てた。 なかには安物なのに数十年来使いこんできたタンスなどもあった。この界隈に引っ越してきたのは、私がまだ幼い頃だったが、その頃に駅前の商店街にあった家具屋で購入したもので、その日のことは今でもうっすらと覚えている。今では商店街はあの頃より少しくたびれて、その家具屋もすでにない。 そうした子ど

          夏の終わりの大掃除