カメラ博物館の鑑賞、あるいは感傷
先日、半蔵門の駅近くにある「日本カメラ博物館」というところに行ってきた。
半蔵門は仕事の都合で昔からよく利用してきた駅なので、そのうち寄ってみようかな、などとずっと思っていたのだけれど、かといってカメラそのものに深い関心や知識があるわけでもなく、単に博物館や資料館の類が気になるタチなだけなので、まあそのうちに、という感じでいつのまにやら何年も経ってしまった。
私の「そのうち」ほどあてにならないものもないのだけれど、まあ、スパンが長いだけでいつかは行ったりやったりするのである。おれだってやるときはやるのだ、ふん。いや、今回は博物館に行っただけじゃん。
で、館内には約300台とのことだが、国産カメラを中心に新旧が展示され、その歴史を現物で追うことができる。
古いライカのコレクションなどもあって、好きな方にはたいへん興味深いものなのだろうと思うのだけれど、申し訳ない。私が足を止めて見入ってしまったのはオリンパスPENという、当時としてはいたってありきたりのカメラだった。
うはぁ、懐かしい――。
あのカメラはどこにいったのだろう?などと考えることもなかったくらい忘れ去っていたくせに、眺めていると子どもの頃の記憶が甦ってくる。家族のこと、当時の生活風景。カメラがしまってあったタンスの色や木目なんかまで思い出す。
ちょっとうろたえるほどに胸がいっぱいになってしまい、そこからおかしなスイッチが入った。
後はもう展示を眺めていても、ただひたすらに懐かしい。キヤノンのAE-1、ミノルタのα-シリーズ。わが家にもあった懐かしいカメラたちが、いま見るとちょっと角ばった無骨な感じの佇まいで余生を過ごしている。私の父はマニアというほどではなかったと思うが、写真が好きだった。
デジタルカメラの時代に入ると、カシオのQV-10が展示されていた。これは当時、何を思ったか自分で買った。しばらくいじりまわして遊んでいたのだけれど、私にはどうにも使い道がなかった(私だけではないかもしれないとも思ったりする)ので友人にあげてしまった。代わりに居酒屋でおごってもらった。いまその友人がどこで何をしているか、もうよくわからない。
クルマとかバイク、それからラジカセとか、そういった工業製品が、人生のさまざまな季節のアイコンになっているのは意識していたつもりだったのだけれど、カメラもまた家族の歴史や私自身の思い出と強く結びついており、それはちょっと意外なほどだった。
たぶん、その日の私は日本カメラ博物館の意義とか目的とはほとんど関係がない来館者であった。なんだかおかしなことになってしまったけれど、どこかふっくらと温かな時間を過ごさせていただきました。