いつだったか、住んでいた街
日曜日の午後遅くになると落ち着かなくなる。日が暮れかけているのに家にいたくなくなったりする。土曜日から睡眠負債を返済し、過払い金が返ってくるほどぐうたらした結果、とりあえず疲労回復ということなのだろう。
ただ、そんな時に出かけたくなる先を考えると、それって本当に回復したんですかねと思う。かつて住んでいた街のいくつかがどうも気になり、行ってみようかと妙に迷うことがよくある。
逃げたいのかもしれない。なんだ、ただのサザエさん症候群じゃないか。
駅からアパートまでの道や住んでいた部屋の様子などを思い出す。お世話になった居酒屋やラーメン屋はまだあるだろうか。営業していたら寄ってみるのもいいかもしれない。
けれど、やめておこうよと自分に言い聞かせてたいていはおしまいにする。いつも思うのだが、どうやら自分はその街その場所に行きたいのではなく、そこに住んでいたあの頃に行ってしまいたいらしいのだ。思い出に浸りたいというような気分を超えた少々図々しい願望で、叶えられるわけもない。
なのに先日、そうした街の一つにふらりと出かけてしまった。
住んでいたアパートの近隣は、現在もひどく建て込んでおり、雰囲気はほとんど変わっていない。けれど、通っていた銭湯の向かいでは、タワーマンションの建設が進んでいた。ちょうど、かつてよくご厄介になっていた居酒屋があった一角だ。落胆を持て余しながら界隈をうろつく。当然、私の図々しい願いは叶わない。何をしているんだか。
そればかりではなく自分でもちょっと意外だった(というか自分で自分にがっかりした)のは、この街での記憶が、空想の中で弄んでいたほどには現在の自分と地続きではないと感じたことだった。誰か他人の思い出を聞かされているみたいな気さえしてくる。街がそのままではいられないように、私も本当はすでにこの街のことを過去に分類し、いつの間にやら棚に収めていたらしかった。
もうあの街には行かなくていいのではないかと思うが、それでは時々湧き上がってきていたあの過去への渇望のようなものはいったい何だったんだ。
そんなことをぼんやり考えていたところに、大きな災害が報じられた。
私が暮らしてきた街々には、いつでも再会することができる。また気になる時がきたら、過去に戻れるわけじゃないなんて言わないで素直に行ってみればいい。
喪われ、帰りたくても帰れなくなることの痛みを思う。