ドサクサ日記 12/9-15 2024
9日。
藤枝スタジオの防音についての諸問題について話し合う。なるべく広い録音スペースの確保は、スタジオ計画時からの悲願。これを叶えるべく各所に相談。金銭的には厳しいが、スタジオにとってはとても前向きな話。こうした議論を妨げる要因がないところが、このプロジェクトの素敵なところだと思う。これ以上ない場所に着地したのだなと改めて感激。この日は引き続き、リターンのパンフレット(コンセプト&藤枝ガイドブック)を編集する仲間たちを案内して、藤枝の街を歩いた。蓮華寺池公園の方向へは曲がらずに、商店街の奥まで散策した。八千代本店のラーメンを食べ、帽子屋があったので店外のワゴンからニット帽を物色して購入。その温かいニット帽を被ったまま、一路、茨城県まで移動。翌日の撮影に備えて、前乗りする必要があったからだ。スナックのようなタイ料理屋で食事。美味しかった。
10日。
ビデオ撮影。公園には、MIBでゴキブリ型の宇宙人が強奪しようとする宇宙船を思い出すような塔が屹立していた。展望台だが、老朽化で中に入れない。本当に塔が必要だったのか?という疑問はもちろんあるけれど、なんとも言えない魅力がこの令和の時代に立ち上がっている。大震災を生き抜いたのだから、補修して広く愛される展望台に復活したら素敵だなと思った。俺が登ってみたいだけ、でもある。
11日。
背中がバキバキでぐったりとする。背筋で呼吸を保つようにしてから、歌うのが随分と楽になった。その反動で、ライブ後は背中が張ってしまう。もう20代のようなリカバリーができない。酒を飲んで寝たりすると、回復力が落ちるのがよくわかる。爺さんのように早朝に目覚めるので質の良い睡眠を取るのも難しい。そうした自分の鈍い身体と付き合いながら、その時々でやり方を見つけていくしかない。
12日。
岡山。会場のCrazy Mama Kingdomというのは凄い名前だなと思う。真備の炊き出しでもご一緒した店長とも再会。やっと約束が果たせてよかった。終演後はRaccoさんに会いに行った。どこのバーでも時折居合わせる、隣席の話題に入ってきてしまう連れのいない謎の爺さんが俺は嫌いではない。俺はひとり焼肉も辞さない孤独のグルメのプロみたいな人間だが、やっぱり誰かと話したい夜もある。
13日。
広島。とても楽しい夜だった。ほとんど誰も知らなかった時代から応援してくれている友人たちと会食。CD-Rを山ちゃんと焼いて方々に出荷していたインディー時代に、広島と岡山のGROOVIN'に俺たちのミニアルバムを持っていってくれた恩人でもある。最初はBBS(死語)で言葉を交わすような関係だったけれど、いつしかご飯を食べたり、酒を飲んだりする仲になった。広島には特別な縁がある。
14日。
戻り。背中がバキバキでぐったりする。ほとんど気合いだけで駆動している。電池の切れかけたミニ四駆というか、電動モーターのおもちゃを思い出す。アイツらの一切には気合いという概念が内臓されていないので、電池がなくなったらそれまでよ、といった感じでヨロヨロと止まってしまう。人間は糖分と気合いのハイブリットなので、ブラック労働も時折引き受けてしまう。気合いは用法と容量を守って。
15日。
クラファン最終日。日中は寝たり起きたり、散歩に行ったり、そんな感じでダラダラと過ごして、夜からはCBSに移動してインスタライブ。なんと7,500万円を超える支援が集まった。とても嬉しい。感謝でいっぱい。が、緊張もする。このような支援に応えねばという気持ちが湧き上がる。抱え込み癖を抑えるというのも、このプロジェクトにおける自分の課題だと思う。俺ひとりでこの支援を預かって、全責任を負う必要はない。もちろん、責任はあるけれど、協力してくれた人たちを参加者だと考えて、このスタジオと共有地がどうなったら良くなるのか一緒に悩みたい。共同作業もしたい。ともあれ、希望の火種のようなものはしっかりと此処にあって、蝋燭くらいの明るさになり、しかも温かい。それだけで間近の足元を照らしてくれる。歩むべき方向だけは、随分前からざっくり定めてある。頑張るぞ。