自分の人生を生きるか、相手の人生を生きるか。
呪いという思い込みを解く事から始める。
僕は○○ができない。その根拠は?
人間はやはりその環境で良くも悪くも変わると思っている。
自信がある人間の自信を無くすことだってできるし、逆に自信がない人間を自信を付けることもできる。
洗脳されるか、正しい教育を受けるかの二択であるということ
教育しているのか、洗脳しているのか。今一度考えれば分かる事でもある。
人間の多面性
自信があるというのはそれはそれで誰かにとっては迷惑な話でもある。
なら足を引っ張る人も出てくるのだ。それは身内かもしれないし、赤の他人かもしれない。こういった部類の呪いは一切気にする必要がないという事。
自信がない方がいいという正義を押し付けてくる可能性もあるという事だ
うるさいより、無口でいて欲しい。=余計な事を言うな
従順でいて欲しいという、嫌な思想でもあるのだ。
おしゃべりにも良い所と悪い所はある。無口にもそれは同様。
その環境に従って欲しいからようわからんことを言ってくるのだ。
自分で住みやすい環境を選んで、適応する事。
んじゃ、どーやって呪いを解けばいいんだよーという話だが、自分の頭でまず考えればいいという事だ。
家族とか、友人とか、様々な意見を一旦置いて、自分の意見をまず浮かび上げてみる。ホントはこれをやりたかったみたいなことが浮かび上がればベスト。「すべきよりしたいを優先するのだ」
自分をあくまで優先しつつ、他人にも心地良い空間を提供する事
自分の課題と他人の課題を分離して他人に対しても配慮する。
勿論、自分をないがしろにした瞬間自分の人生は段々と崩れ去っていくので「呪い」と向き合う事が大事だと思っている。
過去の事は言わなければ誰にも分からない
言っちゃうから駄目なんですよ、反復練習して思い出しちゃうから。
ネガティブになる練習をしているようなもんです。誰かに相談しているはずなのに自分で自ら傷つけている変態さんでもあるという事。
聞く方にも問題はあるけどな!誰にも言いたくない事は一つや二つあるだろう。
過去の出来事は嘘であり、本当の事でもある。
人間というのは記憶を100%保持している訳じゃないんですよ。多少の抜けは存在している。楽しかった記憶はあるはずなのに、暗い記憶ばかり思い出して、「楽しかった事実をなかったことにする」事だってできる。
楽しかった出来事をつまらなかった記憶として保持することもできる。
自分の脳に対して、嘘をついているのだ。
信じたくない本当の事もあれば同様に、素晴らしい事実を持ち合わせている事もある。これは両面のあるコインのようなものなのだ。
なのに、人間はあくまで暗い記憶の方を優先しやすいだけなのだ。
人間は嘘つきなんです。それを受け入れればいい。
「20年間楽しかったことがなかったのかも」と言う女性がいた。
感情を制御できていないのか、本当の本当にその人が20年間楽しかったことがない、もはやそのギネスを取れるような逸材の人間なのかという話なのかと疑ったが、いやいや…んなわけ… まぁ、あるかもしれませんが。
言い換えれば楽しいハードルが高すぎる。楽しいという刺激の成分が受け取れていない。長期記憶のフォルダに暗い記憶しか残っておらず、短期記憶には楽しいことがあったってところだと思うんですよ。
当たり前の楽しさを一旦、脳に対して教えれば解決するんじゃないと自分は思う訳です。
友達と呼べる人と遊んでも今まで楽しくなかった!
それってホントに友達と呼べる人間だったんですか?赤の他人と遊んでたんじゃないですかって思う訳ですよ。背中から拳銃を突きつける人と遊ぶのは誰だって友達とは思わない。
自分の人生と他人の人生、それぞれ責任を持つ
自分の人生にも責任を持って、相手の人生にも向き合う。
それが理想的な生き方ではないのかなって思っています。自分の人生を押し付けるのではなく、お互いの意見を飲んだからこそ良好な関係を築けるというもの。
それが友達ってもんじゃないですかね。
家族というのも他人の人生ではあるけれど近しい関係性ではあること。
勿論、家族と敵対することもあるかもしれないが、基本は中立寄りの味方だと思っている。少なくとも全く知らない人間よりは頼りになる。頼りにしてくれるのも実際嬉しい。
家族が一番呪いを付与しそうなのは最近よく思う。自分の人生を生きる覚悟が必要なんだろうなって思う。