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「ナベちゃんのヨメ」がヤバいってよ
「共依存」という言葉がある。
自分と特定の相手がその関係性に過剰に依存しており、その人間関係に囚われている関係への嗜癖状態を指す。すなわち「人を世話・介護することへの愛情=依存」「愛情という名の支配=自己満足」である。
もしかしたら学生時代に友人だったアイツが、あの子が結婚した相手は、世間の常識から著しくズレていて彼を、彼女の人生を全く違う方向へ、マイナスの方向へ導いてしまうかも知れない。
だけどアイツが、あの子が、その相手のヤバさに気付かずに、彼が、彼女がそれで幸せならそれでいいんじゃないか。
人の人生とは、そんなものなのかと思わされる節がある。
それでいて、この辻村美月の中編小説には、「男女の友情はほとんどの場合に成り立つことは決して無い」ということにも気付かされる。
ナベちゃんは、学生時代に華奢で色白な男子の友人でコーラス部の中でも男子より女子と一緒にいることが多いタイプだった。
女子たちの恋愛相談も聞いてあげてたし、締め切り間際の大学の課題も徹夜で手伝ってくれるとてもお人好し、優しい正確の持ち主だった。
だからと言って全ての女子が彼を、「恋愛対象」という観点からは確実に除外していた。
しかし、全ての女子たちは気づいていた。
ナベちゃんが、あわよくばコーラス部の誰かと恋愛関係が築かれるのを望んでいることを、そのシチュエーションを、その状況を。
だけど臭いものにフタをするようにそんなナベちゃんの思いに見て見ぬふりをしていた。
そしてようやく彼のことを心の底から愛してくれるヤバい彼女に、ナベちゃんは出会ったのだ。
人の人生とは、分からないものだ。
ナベちゃんもいずれこのフィアンセのヤバさに気づいて離婚するかもしれない。
しかし、今の彼にとって彼女の存在というのはなくてはならない大切な存在だということに異論は無いだろう。