「お駄賃の味」森浩美
読書ができないから、ラジオ朗読の感想で、お許しください。
私が、「しらす干し山椒づくりとだっちんの思い出」を書いて、それから、この「お駄賃の味」を聴いた。だから、「お駄賃」という言葉に妙に共鳴してしまった。
主人公「ひろゆき」は、50代の遊園地の専務。開園前に並ぶお客様の中に、無料招待券が期限切れの親子の出会いから・・。自分自身の貧しかった子供時代を回想していく。
小学生5年生のひろゆき、父親は、病で長期入院を余儀なくされ、そろばん塾の月謝も払えず、給食費も。給食ドロボーとか言われ肩身の狭い思いをしていた。
担任の先生に、同じクラスで、火災にあった女の子に全校生徒からのお見舞い金を渡すのを、付き合ってほしいと。それで、なんで俺なんか、生徒会長とか適材の人がいるのにと。そのご両親に、お見舞い金を渡す役目を務める。
お腹がクーとなった。恥ずかしそうに、お腹を押さえ、先生は、「何が食べたい?」と、その時は遠慮しがちに「肉まん」と。先生は、肉まんを買ってくれ、「駄賃代わり」と先生と一緒に肉まんをほおばる。
ある時は、花壇の手伝いを。そして、先生から、「駄賃代わり」に肉まんを、買ってもらい、夕日に染まりながら、校庭の演台にこしかけ、先生と食べる姿は、遠い昔の日を思い出す。
私の、お駄賃は、もっと、幼かったから、いい子にしていろよ、とか、いい子にしていたからと、下心なく、親から、おばあちゃんから、与えられた、台所の残り物を、新聞紙のおひねりでもらったものだ。身内からの無償の愛であり、残り物だし、それが、おやつの役割であった。
短編小説であるから、また違った味わいがある。そういう時代なのか、「駄賃代わり」「駄賃」という言葉が、懐かしいのである。
物語には、展開があって、先生夫妻には、事情があった。亡くした息子と、「ひろゆき」が、なんとなく似ているってことだった。
先生も、なんとか、奥さんに、息子によく似た生徒にあわせたくて、下心ありなのかな。今度は、土曜日の放課後、先生の家の庭の枯れ葉の掃除を手伝ってほしいと、ひろゆきをさそう。彼も、また、なにかにありつけると、しめしめと。どちらも下心が垣間見える。
先生のお宅にお邪魔すると、奥さんと挨拶をかわす。「彼が、ひろゆき君、今日は、庭の掃除を手伝ってもらう、お前、なんか、彼にこさえてやってくれ」と。
先生、「何気に、夏休みはどうする?」と。「とうちゃんが、元気だったら、かんのん遊園地に連れてってもらうけど、病気だからなあ・・、あそこのソフトクリームがおいしい・・」「じゃあ・・」と、先生、言葉をいいかけて、仕切り直して、「じゃあ・・お父さんの病気が治ったら、連れてってもらえ」と。庭のお掃除も、真剣。
二人は、掃除を終えて、奥さんは、「親子丼で、いいかしら?」と。奥さん手作りの親子丼を食べる。途中むせって、お茶をいただいて、お腹が満腹になったので、眠くなって、座布団の上で、寝てしまった。さりげに目を覚ますと、奥さんのカーディガンがかかっており、先生と奥さんの会話を聴いてしまった。貍寝入りというか。7時の柱時計の鐘の音で、すくっと、起きる。
家まで先生のカローラで送ってもらった、ひろゆき。
家には、灯りがついていなかった。母が帰宅して、「ひろゆき、ご飯食べなかったのかい?どっか具合でも悪いの?」肉まんのことも、親子丼のことも、なんか後ろめたさを感じていたせいで、先生とのことは、話してなかった。ちゃぶ台の上には、冷めたメンチカツ。「別に・・」
「かあちゃん、お前のことを心配しているんだ、じゃあ、どうするんだい?ずっと何も食べないつもりかい?」
「こんな冷めた残り物なんて、食べたくない・・」と。「いいよ、先生に食べさせてもらっている」「うちが貧乏で、肉まんとか買ってもらえないから、先生に食べさせてもらっているんだ」「先生とこの、親子丼は、母ちゃんがつくるのよりもずっとおいしい・・」。ひろゆきは、普段の積もり積もったものが、爆発してしまった。本当は、甘えたいのに、日ごろの鬱憤も、堪えていたのだろう。男の子であって。ここのやりとりが、子供らしくて、自分も、こうやって、親に駄々をこねたなあと、ふりかえる。「寝る!」といって、布団にもぐりこむ。
母は、次の朝、「ほら、朝ごはん食べたら、先生とこ、いくよ」と、ひろゆきと自転車で連れだって。
「先生、うちの子がお世話になっていたのに、大変申し訳ありませんでした」「親切にしていただいて、こんなこと、恩知らずで・・いくら、うちが貧しいからといって、物乞いではないので・・」と。
先生は、「おまえ、言わなかったのか・・」。
奥様が、事情を話す。生きていたら、中学3年生になる息子を5年前の夏休み、増水した川にうなぎとりにいき、溺死してしまった、息子の話を。「私がつい、一度会ってみたいわねと、言ってしまったものですから・・」
ひろゆきは、そういう事情があったのかと、子供心ながら、合点がいった。先生は、「夕ご飯は、いわゆる正当な報酬、かたたき、皿洗いしてもらう、いわば、お駄賃です。」そして、今まで手伝ってもらった作業の様子から、「ひろゆきくんは、頑張れる子です」と。
ひろゆきは、先生、奥さんが謝る姿を見て、ここで、いたたまれなくなり、大声で泣いてしまった。母は、「おまえ、なんで泣くんだ!」とひろゆきの背中をさすった。
母、仕切り直し、「こんなバカ息子ですが、よろしくお願いします」と。
辛くて、寂しくて、甘酸っぱくて、しょっぱいお駄賃の思い出が、この遊園地の親子との出会いで、蘇った。きっと、お母さんに連れられて行ったときも、先生からの「駄賃代わり」のことを話してないので、ヒヤヒヤしていたのだと思う。先生夫妻と、母に気まずい思いをさせてしまった。この駄賃代わりの、切ない経験で、ひろゆきは、きっと変わっていったのだと思う。
回想は、ここまでで、遊園地の風景にもどる。
期限切れのチケットをもった、親子は、母親が、子供をうながし、子供も、うなだれて、「帰ろうね」と。ひろゆきは、母親に、「わたしが、入場券を支払います、ただし条件が・・」「息子さんにちょっとお手伝いしてもらいます」と、スタッフにSサイズのジャンパーと、名札を用意してもらい、研修生、子供スタッフと、マジックで書いて名札にいれて。ゲート方向に手をやり、「なあ、ぼく、これをかけて、あそこでチケットをお客さんに渡すことできるかな?」
少年は、うなずいて、「できる」と。
「おかあさん、私は昔、恩師から教わったことがあります。私の家庭は貧しくて、気持ちが折れそうになるんですよ。でも、何か手伝いをさせるんですよ。それをやり遂げると「働いたお駄賃」で、お腹いっぱいごはんを食べさせてくれるんですよ。美味しかったですね。動機は不純ですが・・でも、結果「がんばる」ってことを学びました」「あきらめてしまったら、その先の未来がないですよ」
少年は、スタッフに、教えてもらいながら、ひろゆきと母親はその後方につき、1時間ほどお手伝いした。
その様子に、ひろゆきは、目を細めて、「ありがとう、ごくろうさま」
「じゃあ、これからは乗り物に乗って、おいで」と。そして、少年に「当園の封筒・・これは、バイト代、お駄賃です。別口のお駄賃です。私の心を温かくしてくれた、お礼のお駄賃です」「そしておやつに、是非当園のソフトクリームを食べてください」
お駄賃という言葉は、「おやつ」という意味あいもあるけど、報酬という意味もある。でも、響きが温かく聴こえる。
ひろゆきは、少年時代、恩師にしてもらったことを、この少年に施して、それも、母親の許可を得て、正当な「お駄賃」として、それが精一杯のエールのように思うし、恩師への感謝の思いでもある。
私の場合は、個人的なことはなく、先生からは、グループに、先生がついてきて、お昼に、「シャブシャブ鍋」というものをおごってくれた。そういうときは、親に、「今日は、先生にしゃぶしゃぶ鍋、おごってもらって、初めて食べたよ」と、報告していたし。受験の後に、これも、どういったグループだったのか、駅前の喫茶店で、パフェをおごってもらって、それも普通に、親に報告している。これは、お駄賃というより、先生の大奮発だったのだろう。
それだけ、ひろゆきは、父親の入院で、心が折れかけていたのかもしれない。先生の割り切れぬ思いと、誰が悪いというわけでなく、先生と生徒の境界線をつけようとためらう姿に、母も、ここは、大目にという仕切り直しの葛藤が、なんとも、切なくも、温かく感じた。きっと、ひろゆきも、その後は、ちゃんと母に報告するようになったであろう。
だから、少年の日のひろゆきにとっては、そのことが、忘れ得ぬ記憶となり、人生を変えた転機となる出来事となって、蘇ってきたのでないかと。それが、「私の心を温かくしてくれた、お礼のお駄賃」という言葉となったのだと思う。
先生のお手伝いをすることにより、汗水ながしながら色々と話ができたことで、鬱屈した気持ちのはけ口になったこともあるのではないかなあとも思った。先生から、頼まれた作業をやり遂げたということで、自信にもつながったのではないかなあと、ふと思う。
この小説の「お駄賃」は、おかあさん、先生夫妻をまじえて、大人の事情もはいり、なにやら、複雑な味でもあるが、やはり、わたしは、今では、あまり言わなくなった「だっちん」という言葉が好きだ。
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