地方が自然災害を受けたとき
きれいな田園地帯の夕暮れ の写真ではありません。
田植えしたばかりの田んぼが、泥に埋もれた後です。
熊本豪雨災害の被災地へお手伝いに行ってきました。
神戸で震災を経験しているので、瓦礫に動揺することはあまりないです。
でも、胸が締め付けられるような思いをするのは
ひどい状況にありながら、声を上げず、ただじっと待っていること。
「よそがあんなにひどい被害だったから、こっちはなかなかね…」
助けは来ないとあきらめているかのように、その状況を受け入れている。
だから報道されていない被害がもっとあるはずです。
ここでなんとかしようとするのか。じっと待つのか。
何が正解かわからない。
でも、声をあげなければわからないこともある。
何が起こってるのか、知られないままでそのまま忘れられる。
なので、記録として残しておきます。
これが地方の普通。たぶん長年の経験からの習慣的思考。
都会に住もうと田舎に住もうと、人間の生活の重さは変わらない。
でも、地方で暮らすと、本当にそうなのかと思うことがある。
例えば、台風のニュースは都会が安全とわかると報道が減る。
でも台風が接近すると、電車の運行・遅延情報を延々とやっている。
そんなの全国放送する必要はあるのか。
私も電車の遅延で日常のリズムが崩れることに大騒ぎしていた一人だけど・・・
今は、日常生活がつぶれても騒がない人たちと共にいます。
東日本の震災ボランティアに行った時もそんな人たちが多かった。
見えることだけ、目立つことだけを信じるのではなく、
見えないことに想像を巡らせることができる人間でいたい。