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古典との出会い

先日ちょっとしたきっかけから「とにかく注文してしまえ」と本を注文した。

手に取ってその薄さに驚く。次に1ページあたりの活字の少なさに驚く。これは中身のない水増しの本か、と思った。

しかし

読み進めるにつれ、相当昔に書かれた本ということがわかる。日本語訳がでたのも私が生まれる前なのだ。
そしてそこに説かれている「アイデアの作り方」は私がAハート思考の本でよたよたしながらその一部を描き、今新しい本をまとめるべく苦闘している内容そのものであった。いや、それは違う。この本は私が文字にしようとして果たせず苦悩していた内容を簡潔かつ必要十分な内容としてまとめていた。

今書いている本で「時代を超え読み継がれてきた古典にはそれだけの価値がある。だから古典を読みなさい」とか書いていた。なのになのに私は何も読んでいなかった。

というわけで

この本の内容をいかに取り込むかについて今は苦闘している。数週間前には「チ」を読み驚愕し、その内容を取り込もうと頭を抱えたところだった。

かくして

本が表に出る日はいつになったら訪れるのか。昨今のはやりは不完全であっても出してしまえ。あとで改善すればよい、というもの。しかしこのようにグウの音もでない古典と出会ってしまうとそれをなかったことにはできない。

おそらくこれは本に入れないが、重要な点についてここで書いておく。

パレートの法則で有名なパレートは人間には2種類いると言ったそうな。
一つは「新しい組み合わせの可能性につねに夢中になっている」人
もう一つは「型にはまった、着実にものをやる、想像力に乏しい保守的な」人

社会人人生の終わりになってようやく悟ったのだが、私は前者の人間なのだな。それゆえ後者が支配する会社では常に体調が悪くなる。

今は…と続きを書かない程度には私も大人になったことだな。

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