飲水思源(水を飲みて源を思う)とは、「受けた恩を忘るべからず」という意味の中国の故事成句。
感謝のきもちはもちろん大事だけれど、感謝してばっかりっていうのもココロが恩でパンクするというか、むくんでしまうというか、なんともバランスが悪いもので。水源への感謝を忘れず、同時に自らも水源であれ、ということなんでしょうね。
うっかりガンなんかになってしまったので、日々感謝することばかり。来年はもう少し体力を戻してがんばります。
飲水思源
when you drink water,
admire the beauty of the sky
書聖と称される中国の書家、王羲之の作品「蘭亭序」の一節です。逸話によると、王羲之はこれを酒に酔いながら書き、後日あらためて清書しようとしたけれど初稿を越えるものは書けなかったとか。
今回は王先生にあやかって、雄大な詩の世界観にひたりながらのびのびと一発書きで。
仰觀宇宙之大
俯察品類之盛
所以遊目騁懷
足以極視聽之娯
王羲之「蘭亭序」より
Looking up, we admire the beauty of the sky and wonder at the imm
facing upward
病室の天井に窓を作れとは言いませんが、たとえば色を変えるとか、絵でも描くとか、何かできないのかなとか、そんなことをかんがえながら。
今年は仰向けに寝ていることが多い一年だったなぁ。
仰
aogu : facing upward
with the face or front towards the sky
No.2,055
2019/12/21 – 356
Saptaratna
瑠璃、ラピスラズリは仏教における「七宝」のひとつ。
もし、あなたにとって貴重なものを7つ挙げるとしたら。
瑠璃
ruri : lapis lazuli
Lapis lazuli is a deep-blue metamorphic rock used as a semi-precious stone that has been prized since antiquity for its intense color
No.2,054
2019/12/20 – 355
高所恐怖症な友人は、高いところでは「落ちたときのことを想像してしまう」と言い、逆に高いところが好きな友人は、「飛んでいるみたいで気持ちがいい」と言い。おなじ環境にあってもかんがえることはヒトそれぞれなんだなぁと。
仏道では雑念を捨てろといいますが、ポジティブな雑念はむしろココロのサプリになるんじゃないかなぁとか、そんなことをかんがえながら。
念
omoi : sense
one of the five powers (sight, hearing, smell, tast
豪胆な伊達政宗をここまで悩ませていたこととはなんだったのか。あれこれと解釈があるようですが、まぁ大の男の悩みなんてひけらかすもんじゃないですから、隠れてるくらいでちょうどいいんじゃないですかね。詮索するのは無粋でしょう。
咲きしより 今日散る花の名残りまで
千々に心のくだけぬるかな
Japanese Haiku poem by Masamune DATE
No.2,050
2019/12/16 – 351
友人との楽しい食事の場で、昨日の夫婦喧嘩のことをグチグチ愚痴ってみたり、明日の仕事がブルーだと憂いてみたり。タイミングが前後に24時間ズレてますよ。今は楽しい時間を満喫するときです。
閑話休題。
今は飲むときだ、気ままに踊るときだ。
古代ローマの詩人、ホラティウスのコトバだそうで。
刹那的にならず、すべきことをすべき時に。
carpe diem
今朝有酒今朝醉
Nunc est bibendum,nunc pede libero pulsanda tellus.Now
ぼくたち自身が誰かの師でもある
心がけ次第で、すべてのものから学びを得ることができる。作家・吉川英治の言葉だそうで。
謙虚であれという戒めとしてはわかる気もしますが、しんどくないんですかね、そういう生き方。ん、それともずっと小僧の立ち位置でいられるからむしろ楽なのかな。
すべてのヒトにとって「我以外皆我師」であるならば、ぼくたち自身が誰かの師でもある、ということなわけで。それも忘れちゃいけないんじゃないかなと。そんなことをかんがえながら。
我以外皆我師
humble to learn
No.2,045
another man’s floor
立場が変われば見方が変わる。
その溝を埋めるのは、想像力と、共感力かな。
一水四見
issui-shiken : one man’s ceiling is another man’s floor
No.2,044
2019/12/12 – 347
仏教用語。同じ水でありながら、天人はそれを宝石で飾られた池と見、人間は水と見、餓鬼は血膿と見、魚は自分のすみかと見るように、見る心の違いによって同じ対象物が異なって認識されること。唯識説で用いられるたとえ。一処(いっしょ)四見,
the mind’s eye
世間体とか、見栄とか、こだわりへのこだわりとか。そういう汚れやくもりを落としたらコドモのころのようにすっきり見えるんじゃないですかね。
いまさらそれ抜きには生きていけないっていうヒトも、アタマの中で思いをめぐらせるときくらいはいいんじゃないですか、心眼で。
心眼
shingan : the mind’s eye
The mental faculty of conceiving imaginary or recollected scenes.
No.2,043
2019/1