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夜の水族館

今年最後の夏休み。

喫茶店で、須賀敦子/藤谷道夫共訳のダンテ『神曲 地獄篇』を読み終える。地獄篇第17歌まで。第18歌以降も藤谷道夫の訳で読みたいが、出版予定は明示されていない。彼自身による、第18歌以降の予告解説。

地獄篇は全部で三十四の歌章で構成されているため、数のうえではここで前半が終わり、第十八歌から後半に入る。地獄は九つの圏から成るが、すでに七つの圏が語られており、ダンテは後半のすべてを残り二圏のために割いている。それはこの後半こそが地獄の本質をなすものだからである。第八圏と第九圏が扱うものは人間の欺瞞(悪意)であり、ここにこそ地獄の、すなわち、悪の本質があるとダンテはみなしていた。<中略>

他人を欺くことに長けた者はまた自分を欺くことに長けた者でもある。このため、ここからの登場人物の言葉に対しては、まさに探偵並みの洞察力を働かせないと、読者はいとも簡単に騙されてしまう。
 悪を通して人間とは何かを追求する後半は、人間性の本質に関してダンテが極限まで突き進めた人類の叡智を形作っているのである。

ダンテ (著), 須賀敦子 (訳), 藤谷道夫 (訳)『神曲 地獄篇: 第1歌~第17歌 (須賀敦子の本棚 1)』河出書房新社,p.433

続きが気になるではないか。いつの日か藤谷道夫訳の続きが出版されることを夢見て、しばらくの間は、他の翻訳で読み進めるしかない。『神曲』は既刊訳が3,4種類存在するので、まずは訳文の読み比べをしようと思う。

須賀敦子の本棚シリーズ監修者、池澤夏樹による最後の文章を読んで、改めて須賀敦子と藤谷道夫に敬意。

しかし『神曲』は長い。教室で学生を相手に購読するとか雑誌などに定期的に発表するなどの責務でないかぎり、同じペースで最後まで読み進めるのはむずかしい。どうしても速度が落ち、他の仕事が割り込み、自分自身を相手のこの楽しみは後回しになる。地獄の半ばで歩みが遅くなり、煉獄の終わりにようやく辿りついたが、天国に足を踏み入れることはできなかった。

 そんな時に一人の青年がやってきて『神曲』を教えて欲しいと言う。教えることは自分の知識を整理することであり、更に理解を深めることである。よくわかっていないことは人に教えられない。そこで改めてこの西洋文学の偉大な古典を購読の形で最初から読み直すことにした。

 最もうまくゆく場合、教育とはこういう形をとる。それをこそ師弟と呼ぶのだが、詳しいことはその青年である藤谷道夫さんの「はじめに」を読んでいただきたい。おずおずとした購読が最後には立派なダンテの専門家を生んだ。彼女が優れた師であり、彼が才能のある弟子であり、なによりも『神曲』が生涯をかけるに価するほど魅力的な文学であった。

同上,p.455

須賀敦子の本棚シリーズ第2弾の刊行予定を確認する。ウィラ・キャザー著、須賀敦子訳の『大司教に死来る』。明後日発売予定。内容について全く予備知識がなかったが、Amazonですぐさま予約注文する。第1弾の『神曲』が素晴らしかったので、このシリーズの本は無条件に信頼することにする。

夜、アクアパーク品川の水族館に行く。プロジェクションマッピング演出のイルカショーが目玉。室内の会場は真っ暗で、青色の照明だけがプールの水底を幽かに照らしている。

飼育員の合図で、イルカたちが水面から一斉に首を出す。彼らは輪になって、プール中を高速で旋回。突然、プールの中央に天から黄金色のスポットライトが射す。輝く光の柱の中、一匹のイルカが全身を上下に回転しながら高々と舞い上がる。他のイルカも次々に跳躍。水飛沫が跳ねる。会場の壁面に、花火をあしらったプロジェクションマッピングが始まり、ショーはクライマックスを迎える。

夜の水族館は客が少ない。ショーの後は、各水槽をゆっくり鑑賞。豹柄のヤマウツボ、縞馬柄のゼブラウツボなどを見て、派手柄のウツボを襟巻のように首に巻いた貴婦人の姿がなぜか頭に浮かぶ。巨大な海亀が、他の魚たちと一緒にのんびり泳ぐ姿に癒される。寝そべったままそっぽを向いたアザラシや、棒立ちのまま眠っているペンギンなど、動物たちの寝姿も楽しい。

途中、『動物たちのすごいワザを物理で解く』に登場したモンハナシャコの水槽を発見し、興奮する。地球上最も加速(時速80キロ)するパンチを繰り出す(貝殻などを割る)シャコ。岩場の影にいたため、海のボクサーの雄姿を拝むこと叶わず。

お土産にペンギンとシロクマのコースターを買う。出口付近のガチャガチャで、カピバラとアザラシのフィギュアが当たる。

帰宅後は眠気に耐え切れず、シャワーを軽く浴びて就寝。SmartNewsは閲覧せず。

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