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「血」という幻想

どうやらわたしは「血」に期待しすぎていたようだ。

いつか分かり合えるはず
いつか愛してもらえるはず


「血」がつながっているからこそ「いつかそうなれるはず」と期待してしまっていたのだろう。

たとえば「血」のつながらない気の合わない友だちにはそんな期待しないくせに、「血」のつながった気の合わない母親には期待してしまうのは、どうしたってそこに特別な何かがあると信じて疑わなかったからだ。

まるで「血のつながり」がこの世で一番尊いものであるかのような、人類をつなぎとめる最後の砦であるかのような、そんな幻想を持っていたのかもしれない。


血を分けた親子だから。
私を産み落とした母親だから。
わたしを愛さないわけがない。
わたしを理解しないわけがない。
いつか分かり合える日が必ずくる。

そうやって「血」のつながりにしがみついていた。「血」のつながりだけを根拠に母に対する期待を手放すことができなかった。


でもじっさいにいま
わたしたちは分かり合えないし、愛し合えない。
それが現実だ。

「血」のつながりなんて実は何の意味もないのだ。



ただ目の前の相手にどれだけ優しくできるか、思いやりを向けられるか、どれだけ愛を届けられるか、それがすべてだ。

どれだけ目の前の相手との関係を大切にして、誠実な関係を育んできたか。

そこに「血」のつながりは関係ない。


「血」がつながっているからといって、バカにされたり否定されたり暴力を受けたりしたら、それは大切にされる関係とはほど遠い。

いますぐ逃げだすべき関係だ。

「血」のつながりを理由にそんな場所にとどまる必要はない。


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わたしの人生のテーマであるセクシャリティー、毒親、癒し、統合、死別、共依存などについて綴ります。目標月10本以上更新。みなさんの応援がわた…

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