他人のタイミングを尊重する
気付きを得るってうれしいよね。
じぶんの経験を通して
「あ、そうなんだ!」って腹落ちして、じぶんのなかにスッと入ってきたことって、人生を変えるよね。
だからその素晴らしい気付きを他人にも教えてあげたいと思うのはふつうのことだと思う。
でもね、人にはそれぞれタイミングというものがあるんだよね。
気付くためにはそれ相応の経験と準備が必要で、その準備がまだ整っていない人に、じぶんの「気付き」を話しても、それは「押し付け」にしかならない。
瞑想したくない人に瞑想を勧めたり
内省したくない人に内省を勧めたり
運動したくない人に運動を勧めたり
それは迷惑でしかない。
かくいうわたしも、夫との死別の衝撃からまだ回復していない時に、運動を勧められたのは本当にキツかった。
だって、できないんだもん。しんどいんだもん。
って思ってた。
でもそこからゆっくり休んで、ようやくエネルギーが回復してきた時、わたしは自然と運動をしたくなったんだ。
それがわたしのタイミングだった。
早く気付いた人にとって、まだ気付いていない人を見守るのは難しいのかもしれない。
じぶんは答えを持っていて、それを教えてあげたいと思うのは当然だ。
でもその答えは、その場所に辿り着くまでは読めない記号のようなものなんだ。
あるステージに達したとき、その記号が初めて意味を成す。
その日までは失敗を繰り返しながら、もがき苦しみながら進み続けるしかなくて、早く辿り着いた人は、そんな苦しみもがく人を見守るしかない。
いつかそれを乗り越えてかならずこの場所に来るのだから大丈夫なんだという視点が必要になる。
誰かを助けたい、教えたい、導きたいってものすごいエゴだし。
どうしても教えたい、誰かを変えたいと思うなら、そう思うじぶんをいま一度見つめ直す時だ。
自戒を込めて、そう記しておきたい。
ここから〈おまけ〉
うれしいです!!!!