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毒親問題のゴールってどんな状態か知ってる?

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毒親問題が終わるときって、ある日、母とのわだかまりがすべて解消されて、母からの誠心誠意の謝罪があって、わたしが涙ながらに感謝の言葉を述べて、手と手を取り合って、しっかりと抱きしめ合って、大団円を迎えるのだと思っていた。
天使が舞い降りて小鳥たちはさえずり外では色とりどりの花火が次々に打ち上がる。そんな奇跡のようなグランドフィナーレを指すのだろうと思っていた。

でも実際は違った。

毒親問題が終わるときは「毒親のことを考えなくなったとき」なんだ。
母と和解することもなく、分かり合うこともなく、謝罪もなく、感謝の言葉を伝えることもなく、母のことをまったく考えなくなったある日、毒親問題は終わっていた。

それはわたしが母に対する執着を手放した日でもある。


「毒親問題」についてあれこれ騒ぎ立てているとき、わたしは思いっきり母に執着していた。

幼いころ、わたしに冷たくて無関心だった母親。こどものわたしが得られるはずだった愛情。こどものわたしが得るべきだった愛情。それを大人になってからもずっと求めていた。

「わたしだって他のきょうだいと同じくらい愛されるべきなんだ」と、幼少期に取り損ねた分を回収しようと躍起になっていたんだ。

大人になっているのにいつまでも親に執着して、親につきまとっていた。

「もっとくれ」「もっとくれ」

とまるで妖怪みたいに母に求めてきた。

でも求めても求めても満ち足りなかった。わたしの渇望は底なしだった。

なぜならその渇望は大人のわたしの感情じゃなかったから。

「母の愛が欲しい。もっと欲しい。もっともっと欲しい。」

そう思っていたのは大人のわたしじゃなくて、わたしの内側にいる小さなこどものわたしだった。

母はわたしが結婚してからは、わたしにも色々と誠意を尽くしてくれた。子どもを見てくれたり、子どもを可愛がってくれたり、どこかへ連れて行ってくれたり、行事ごとに実家でもてなしてくれたり、引っ越しを手伝ってくれたり、おみやげやプレゼントだって毎回くれた。夫にも義母にも感じよく接してくれた。母にしてはすごくがんばっていたと思う。

それでもわたしは全然満足しなかった。

だってそれは大人のわたしがよろこぶものであって、小さなこどものわたしが求めているものじゃなかったから。

じゃあ、小さなこどものわたしはいったい何を求めていたんだろう?

それは、、、、

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うれしいです!!!!