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揺らぎある自信を揺るぎない自信に変えていく方法

わたしの中には「揺るぎない自信」というのは存在していない。

親からバカにされたり否定されることはあれど、
褒められたことも認められたこともない幼少期だった。

そんな環境で築き上げられたのは「わたしが間違っている」という信念だった。

いつだって他人が正しかった。
親に従えないわたしが間違っていると思うしか、生き延びる道はなかった。

親がわたしを叩く。大声で怒鳴る。
「きっとわたしが悪いことをしたのだろう」「わたしが間違っているに違いない」幼いわたしはそう思うしかなかった。いつだって親が正しくて、わたしが間違っていた。

違和感があってもそれを感じてはならない。それを感じてしまったら、その場所で生きていくことはできない。親がどんなに冷たかろうが理不尽だろうが間違っていようが、わたしはその違和感を感じないように感覚を遮断して生きてきた。

その信念はわたしに深く深く染み込んでいて、大人になった今、それが間違った信念だったと分っていても簡単に消えてくれることはない。

他人がなにかおかしな言動をする。一瞬違和感を感じる。自分の感覚が信じられる人であれば、その違和感をキャッチして、相手のおかしさに気づくことができる。

でもわたしの場合は、自分の感覚をキャッチするのにタイムラグが生じる。そのとき感じた違和感は瞬時にからだに閉じ込めて無かったことにする。その違和感をからだでキャッチできるのは、いつもずっとあと、もっと問題が大きくなってからだ。

わたしは自分の感覚を信頼できないし、自分の感覚を遮断する癖がある。
だから違和感を感じても、変な人と付き合い続けてしまう。その結果、大きな問題が起きる。

最初の違和感を自信を持ってキャッチする揺らぎない自信がわたしにはない。


わたしの自信はいつだって揺らいでいる。
無意識でいれば「わたしは間違っている」が出てきてしまう。それを意識的に打ち消す。その観念は幼少期、親が未熟でわたしをうまく育てられなかったからできた観念で、間違った観念だ。
あのころ間違っていたのは親の育て方で、わたしはただ子供だっただけ。子供の未熟さを受け止める度量が両親になかっただけ。
だからわたしは間違っていない。わたしはわたしの感覚を信じて大丈夫なんだ。

こうやって揺らぎながら意識的に観念を外して自信を持ち直す。わたしの自信はまだえらく流動的なんだ。まだ獲得して新しい観念だからわたしに根付いていない。

こうやって揺らぎながら、自信と不安を行ったり来たりしながら、自分の感覚を信じていいと自分に言い聞かせていこう。

揺らいでいい。揺らぎながら自分の真ん中に戻れる時間をふやしていけばいい。

そうやって揺らぎながら自信を持っていいと思える時間をふやしていくことで、いつかそれは揺るぎない自信へと変わっていくだろう。

ゆっくりと、少しずつ、でも確実に。

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わたしの人生のテーマであるセクシャリティー、毒親、癒し、統合、死別、共依存などについて綴ります。目標月10本以上更新。みなさんの応援がわた…

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