親と距離を置くことに罪悪感を感じるなら、親を客観的に見てみよう
自分の親が毒親だと気付いたときまず最初にやるべきことは、とりあえず親と距離を置くことだ。
自分の親が毒親だったと気づくことは、その親に育てられた子どもにとっては世界がひっくり返るくらいの衝撃だから、一生縁を切る必要はないにしてもまずいったん距離をとって体勢を立て直す必要がある。
そこで満を持して登場するのが
罪悪感
だ。
往々にして毒親は自分が毒親だという自覚がない。いつだってその加害性は無意識のうちに行われてきた。
なんならそれを「愛」だと信じて疑わない人たち、それを毒親と呼ぶのだ。
だから本人としては精一杯育てたはずの子どもが突然離れていくことに少なからずショックを受ける。毒親のほうが傷ついて被害者の立場をとることもあるだろう。
親を傷つけるのは辛い。それでも意志を貫いて親と距離をとっていくのは、とてつもない罪悪感をわたしたちに与える。
そんなとき試してみてほしいことがある。
それは
親を客観的に見てみること
幼い子どもにとって親というのは世界そのもので、どこか神にも近い存在だ。
そこでは親は絶対的な正義で、親の価値観を否定して親に逆らって生きていくのは幼い無力な子どもには到底不可能なことだ。
わたしたちは置かれた場所で生き延びるために、親の価値観を受け入れてきた。
言い換えるとそれは「親」というメガネをかけて今までの人生を過ごしてきたとも言える。
すべての現実を「親」メガネ越しに「親フィルター」を通して見てきた。
そんなふうにずっと体の一部だった親メガネを外して、初めて裸眼でこの世界を眺めようとしている。
それはとても勇気のいることだ。
裸眼に慣れていないので焦点も合いづらい。
なんだか怖い。
だからこそ練習が必要だ。
メガネなしで、裸眼でこの世界を見る練習が。
そのときに必要になるのが「わたしにはもうメガネは必要ないんだ」という納得感だ。
なぜメガネが必要ないかを徹底的に自分に教え込まなければならない。
そうじゃないと今までずっとかけてきたメガネを手放すことが不安になるからだ。
もう必要ないのだと自分で腹の底から納得しなければならない。
例えばこうだ。
そんなメガネこれからもかけたいですか?
答えはNOだ。
そんなメガネはもうわたしには必要ない。
こんなふうに親に対しても客観的に見ていく必要がある。
例えばわたしの母ならこうだ。
うれしいです!!!!