おかあさんを嫌いでいい/家族との新しい関わりかた
わたしの母は世にいう毒親といえると思う。
いつも暗い顔をしてため息をついていたし、父親の悪口を私に垂れ流していたし、褒められたことも労われたこともない。とにかくわたしに興味関心がなかった。物心ついてからは手を繋いでもらったことも抱きしめられたこともない。スキンシップというものがわたしが育った家庭には存在していなかった。父親はモラハラで、酒を飲んでは家族に八つ当たりした。父親がわたしをどれだけ叩いても、外に放り出しても母は助けてくれなかった。そしてそのことを母は今まったく覚えていない。
母に愛されたくて一生懸命がんばってきた人生だった。母は普段は無関心だけれど、わたしが不幸になると喜んで助けてくれるので、わたしは一生懸命不幸になった。夫と不仲になり、義母の過干渉に苦労し、息子の子育てに行き詰まった。母に夫や義母や子育ての愚痴を報告した。そうすることがわたしが母から愛される唯一の方法だった。不幸でいることが母に愛される絶対条件だった。
でも夫が亡くなって、わたしは目が醒めた。
母はわたしの不幸が好きだけど、不幸であるわたしを愛してくれるわけではない。同情はしてくれるけど、痛みに寄り添ってくれるわけではない。母は人を受容したり、違いを認めたり、痛みに寄り添ったり、愛を伝えたりすることはできない人なのだ。わたしがどれだけ不幸になろうとも、それで母の愛が得られるわけではないとそのとき思い知った。
わたしはこれ以上母のために不幸になるわけにはいかなかった。
残された子どもたちのため、なによりわたし自身のために強く幸せに生きなくてはならなかった。
わたしは「母」という存在を喉から手が出るほど欲していたが、わたしの求める母親像は、現実の母が一生かけても提供できない種類のものだった。
つまり母がわたしの望む母親になることは今後一生ない。母がある日わたしの痛みに気づいて、自分の過ちを心から悔いて、全身全霊改心し、わたしを心底愛する日は来ない。奇跡は起こらないのだ。
うれしいです!!!!