この10年を振り返って
おはようございます。土曜日です。
そろそろ3月になり、双極性障害を発症してから10年になります。
診断付いたのが約半年前。9年半誰からも気づかれることなく過ごしました。
今までの経緯は病気連歴として記事にまとめてあるのでよかったらご覧ください。
1年半前双極性障害が悪化し「今までで一番悪い」と思い、今のクリニックを受診しました。
その時に初めて「うつ状態」だと診断されました。
過去に精神科病院やほかの精神科も受診していますが「性格。」「自律神経が乱れている」と言われて気づかれていません。
今のクリニックで最初にもらった診断は「うつ状態、ADHDとASD」の3つでした。
半年後に「全般性不安障害」の診断が下ります。
その半年後抗うつ薬で躁転し双極性障害の診断が下ります。
正直発達障害の診断が下りたこと、自分の中で異様だと思ってた繰り返す鬱と過剰な行動に診断がついたことにほっとしています。
不安障害の発症は14歳。双極性障害の発症は17歳になる少し前の春。
約11年間。薬もなく、社会になじまねばと無理をして倒れてを繰り返していました。
テンションが上がったり不安が膨れ上がっては自力で抑えてそんな日々でした。
人に恵まれていて幸せでしたが、どこかにしんどさが常にありました。
18歳まで実家にいましたが、ネグレクトがあり、私は病院に行くのが禁止でした。
18歳の時あまりの頭痛と吐き気に耐えられず内科に仕方なく連れていってもらったんですが、その時に「心療内科の域だから心療内科をお勧めします」と言われた母親は大激怒。
「あんたの気のせいじゃない。」と言われ終わりました。
今でも「あの時心療内科でいいから行っていたら変わったのかな」と思います。
今、薬が思うように効かず、自分も主治医の先生も「どうしようか。」と首をかしげていると余計に思います。
みなさんは体調が少しでもおかしいと思ったらすぐ病院へ行ってください。
仕事はですが、
一社目は覚えられず、鬱を悪化させ、診断が下りなかったため、休職も異動もできず退職することになりました。
2社目は軽躁、軽鬱は誰も気づかず性格だと思われていたので度々休むことはあっても虚弱な人の立ち位置で働き続けられました。
が5年に一度大鬱で休職。残業が多かったのと仕事の負荷を減らすどころか増やされてしまい、結果退職しました。
3社目はワークライフバランス重視で選びました。
正直ストレスが多く、気が滅入ることも多いです。
新人が4人連続やめたといういわゆるブラック職場に配属になってしまい、今後のことを考えています。
ただ会社全体で見れば働きやすいのかなとは思います。
薬を飲まなくても短期間だけ見れば過ごせるのかもしれません。
しかしラピッドサイクラー化はしやすいですし、必ず約5年ごとに大きな波が来ます。
社会人人生は約40年です。そのあとも働くなら50年かもしれません。
その間治療していないと8~10回大きな波を経験することになります。
正直仕事どころじゃなくなります。
だから診断された方、疑いがある方、面倒くさい気持ちはわかりますが必ず専門医の下で治療を受けてください。
自立支援医療を受ければ自己負担額が1割になります。
初診から1年経てば障害者福祉手帳も取れます。
1年半経てば障害者年金も受け取れます。
自分も自立支援医療は受けています。
発症原因は人それぞれですが双極性障害は死ぬまで付き合っていく病気です。
ある程度症状をコントロールする技術も必要かもしれません。
精神疾患になることは不幸かもしれません。
情報も双極性障害はうつ病と比べると少ないです。
でも自分は「少しでも明るく生きたい」と思っています。
病気でも障害を持っていても自分は自分です。
ほかの人になれません。
自分が望むことを望むとおりにもしくは近い形になるように努力して生きていきたいなと思っています。
明るく、笑顔でいれば人は集まります。
少しでも自分らしく生きようとすれば仲間が寄ってきます。
そんなことを思い、締めたいと思います。
長文読んでくださってありがとうございました。