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無思考で課す定例業務の罪

定例会、進捗会議、定期共有会、月報、週報など、ある決まった期間で必ず実施する業務。
仕事をしている人は必ずと言って良いほど経験があるのでは?と思います。

私は今の会社に勤めて9ヶ月になりますが、(何故か)部門の資産である情報の保管、活用などのあり方について検討する役割を与えられています。

私はものづくりを生業にしてきていますが、今いる部署は営業、企画、開発のどの要素も持っています。

一方で各分野のプロではないため、ISOの規格や顧客情報の集約方法など、市場で共通認識としてある情報の管理の仕方が定義されていません。

そのため、個人に依存した情報管理となっており、サーバーのフォルダ体系を見ても、仮想空間のゴミ屋敷みたいになっています。

その情報のあり方について、2〜3週間単位で部門内で打合せをするようにしているのですが、先日は「週報」について議題に挙げました。

議題に挙げた理由は週報を書いているのは良いけれど、それを発信するターゲットが不明確で、記載内容もどういうレベルで書いたら良いのか明確ではなかったためです。
また週報は唯一、情報を蓄積するための業務として運用できているものなので、改善することでより良い情報の蓄積ができないかと考えたためです。

打合せの結果は「現状維持」で終わりました。

発信するターゲットについては、上位職者含めた各部門、記載内容もその時に合わせて端的に書くという(シンジラレナイ)結論でした。

ここで私は歴史の話を忘れていたと思いました。

歴史の話というのは、それまで培ってきた業務に対して改善提案をする場合、慎重にならないといけないということです。
この話は別でしようと思いますが、打合せでは拒絶に会い、週報は「こういうものだから」と発展的な議論ができませんでした。


前置きがかなり長くなりましたが、そこで思ったのは毎時必ずやる業務に対して、どういう範囲に、どれくらいの効果(利益)があるかを明確にしないと、ただやっているだけの不採算業務に成りかねないということです。

◎定例業務の行き着くところ

私はこれまで色んな定例業務をこなしてきましたが、その中身に対して効率を上げることしか考えてきませんでした。

それでも、何のためにこの会議をしているのか、これだけの人数集めて全員に何の効果があるのかなど、時間が進むにつれて、そもそもこの定例業務の意味は何だ?と疑問に思うことが多かったです。

今回の一件があり、幾ら会議や文書の中身を良くしたとしても、その定例業務にどんな利益をもたらすか考えないと、結果として出てくるものにそれほど価値がないということに気付きました。

そしてその定例業務の行き着く先は形骸化です。

何かやってるけど、よくよく考えたら何か意味あるのこれ?っというやつです。

◎定例業務に対する検証

形骸化を防ぐには定例業務を始める際は、前述している通り、目的やターゲットなどの方針をしっかり決め、そこで得られる価値、利益、効果を明らかにしてから始める必要があります。

これは製品企画に似ています。

ものづくりを生業にしている私ですが、定例業務も製品開発のプロジェクトと同じようなプロセスを経て運用すべきものだったなと反省しています。
短絡的に始めたものが有益になるはずないのです。

◎固定費

定例業務は固定費と同じではないでしょうか?
定例的に同じ業務を課すということは、定期的に同じコストが費やされることと同じです。

人数×時間×回数×時給が常に掛かってくるコストです。
そう考えると、定例業務を始めることのリスクは大きいと思います。形骸化して尚続けるようなことになれば、損失はとても大きいです。

◎まとめ

定例業務はその簡単さから始めやすい上に、何か仕事をやっている感を与えられます。
そのため身近に存在する定例業務は短絡的でほとんど意味がないものが多いのではないでしょうか。

逆に仕事をしているという安心感を与えられるのが定例業務になると思います。

ここまで定例業務は悪のように書いてきましたが、全ての定例業務がそうとは限らないと思っています。

それは前述している通り、ビジネスとして定例業務の定義を明らかにすれば有用な業務になり得ます。

業務改革のために週報禁止とか定例会禁止とか上からの命令として降りてくるようなこともあります。
しかし、私は定例業務が行われているなら、本当に有用なのか再検証し、業務の再定義をすれば良いと思います。
その上でやめるにしろ、形態を変えるにしろ考えれば良いと思っています。

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