【小説】初夢なんて見ない②
第1話はコチラ
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「オニオンからまた電話あったとよ、もっと値段下げろやって。それをどうにかして売るのがそっちの商売やのにね」
初継の家内である朝子はいつもの愚痴を吐きながら、手際よくタッパからナスの浅漬けを、健太郎と初実、健太郎の先輩である守の冷やし中華の脇に取り分ける。
オニオンとは、佐岡家が野菜を納品しているいくつかの農産物直売所の一つ『オニオンハウス』の略称だ。来客数は他の直売所よりも多いが、その分競合農家も多い。それはこの地域の直売所の中で、唯一、経営体が農家ではなくマーケティングのノウハウを熟知している小売企業だからだ。そのため、当たれば大きいが、ハズしてしまえばとことん売れない。
朝子には、野菜が売れないことよりも、店長が畑にも立ったことがない大卒の若者であることが癪だった。
「まあな。ほんでも、あっちも頑張ってくれてるで。じゃが芋もキャベツも、昨日はそこそこ売れたしな。ナスもほれ、こげん旨いし売れるやろ」
「ナスの話じゃないとよ」
呑気にナスの浅漬けを口に放る初継を、朝子が睨む。
「そんじゃ、何が売れんね」
「初夢草に決まっとるやろ。乾草ひと袋で二千円は高すぎるんやて。せめて半額にせえと。そんでも、まだ高いて言うとるよ」
初継が腕を組んで唸る。
「一個も売れとらんわけじゃないやろ。着実に価値を見出している人が増えとるんや」
「いつ増えるんよ。わかる人だけが買ってくれても生活できないんよ」
「でも、この前テレビの取材来てたじゃないですか。あの放送、確か今週末でしょう。そうしたら爆発するかもしれませんよ」
守が冷やし中華を頬張りながら口を挟む。
佐岡家には時々テレビや雑誌の取材が来る。内容は毎回一緒で、『【初夢草】の伝説を信じて、脳障害を抱えるひとり娘に煎茶を飲ませ続ける健気な父・初継』というもの。作物の美味しさ、ではなく、お涙頂戴のドキュメンタリーばかりだ。撮影隊も【初夢草】の畑には一切興味を示さない。
確かに、放送後や雑誌掲載後には多少の反響はあるが、想像以上に高価で、想像を絶する不味さを知ると、客は再び離れていった。
「守君の気持ちはありがたいけどね、売れんもんは売れんのよ。そろそろ初夢草は潮時なんよ」
朝子はため息まじりに返すと、こめかみを指で抑えて「頭痛くなっちゃう」と呟く。
われ関せずと、初実は皿に口を付けて冷やし中華を汁ごと啜る。
「でもな、初夢草のおかげで助かっとる部分もあるやないか。タダで取材受けとるわけやないで。それにな、あの初夢を一発見れたら大逆転や。やっぱりとんでもない妙薬やったんや、って世間は大騒ぎになるぞ。安心せい、必ず初夢は来る。わしはな、ガキの頃に」
「わかった、聞き飽きたとよ。そんな初夢なんていつ見れるんかね」
朝子は何度も聞いた、初継が夢で鳳凰の背に乗った話を遮ると、洗い場に去っていく。耳にタコができているのは、健太郎も守も同じだ。この場で【初夢草】の伝説を信じているのは、初継だけだ。
初継は、健太郎と守に顔を近付け朗々と語り始める。
「わしの名前はな、初夢草の栽培を継いでほしい、で、初継っちゅうんや。爺さんが付けてくれた名前でな。だからな、わしには脈々と受け継がれるこの伝説を証明する義務があるんや。それを守んのが、守。お前や。健太郎は」
少し考えて、健太郎の肩を叩く。
「初夢草で健康になって薬効を証明してくれ」
元々体は健康そのものなんだけど、と健太郎は思ったが黙っておいた。
「頼んだぞ、お前ら」と初継が笑うと銀色の前歯が見える。
「ごちそーさまでしたー!」
初実が柏手のように大きく手を叩いて叫ぶ。健太郎には未だに、初実が二十九歳であることが信じられない。行動が幼いこともあるが、そもそも容姿が高校生と比べても遜色ないほどに若い。肌も白く綺麗で、シミひとつない。
朝子が急須と人数分の湯呑みを盆に載せて持ってくると、茶を注ぎ始める。獣のような、肥溜めのような、何とも言えない臭気が食卓に広がり、健太郎はしかめた顔を周りに見られないよう俯く。
「初実も、初夢が実るように、で初実やもんな」
初継が腰をさすりながら態勢を戻して、高らかに言う。
「初夢が実るって、言葉としておかしいよな」
守は健太郎に耳打ちして、クスクスと笑う。健太郎は笑っていいのかどうかわからないまま、取りあえず守に合わせてにやつく。
突然、冷やし中華の皿の横にガシャンと音を立てて、トランクケース型のピンク色のおもちゃ箱が置かれる。初実のおままごとセットだ。
「けんちゃんがおとうさんね」
「初実、健太郎君はまだお仕事残っとるんよ。夕方にしなさい」
朝子の注意に、「やーだー」と身を大きく揺らして初実が駄々をこねる。
「売れんのに、仕事だけは何でこんなに多いのかね」
朝子はため息交じりに嫌味を言って、初継の前に【初夢草】の煎茶を置く。初継も守も同じことを思っているが、これ以上空気が重くならないように別の話題を探す。
初継が不意に両手を天井に伸ばす。
「よし、今年の暮れはみんなでパーッと海にでも出かけるか。ほんで、初日の出を見て、拝むんよ。今年こそは良い夢見にしてくれってお願いしようや」
「お父さん、海まで何十キロあると思っとるの。行き帰りのガソリン代だけで二日はご飯食べられんで」
「売れたら、の話だで。売れたらの。目標持って仕事するんは悪いことやないとよ。初実も海見たことないもんな」
「うみーはーひろいーなー、おおきーいなー」
初実はいつの間にか駄々をこねるのをやめ、歌いながら床を転げ回っていた。
「そんなこと言うからには、何かいい方法あるんやろね」
湯呑みを配りながら言う朝子の嫌味に、初継は黙ってしまう。朝子はまたため息をつく。
「ほら、何にもないんやろ」
「いや、あるんよ。あったんやけどなあ、喉まで出てきてたんやけどなあ」
ここ最近、佐岡家の食卓での会話は、時々話題に上がる初継の年相応の腰痛についてを除き、売れない【初夢草】への悲鳴ばかりだ。いつもなら、この辺りで畑へ逃げるのだが、この日は違った。
どれだけ急ぎの仕事があろうが、【初夢草】の煎茶がなみなみと注がれている湯呑を空にするまで食卓を立たない暗黙のルールがあった。
健太郎は煎茶にまだ口をつけていなかったので、仕事に発つには早かった。
「健太郎」
「は、はい」と、初継の咄嗟の呼びかけに健太郎の声が裏返る。
「こん中で一番頭が若いのはお前や。何かいい方法ないかね」
守に顔を向け目で助けを求めるが、同じ速度で顔を背かれる。
健太郎の額に汗が滲む。考えていなかったわけではないが、一番下っ端であるという健太郎の勝手な観念で今まで意見を言ってこなかった。それに、いざ意見を自分だけに求められると、緊張で言葉が出ない。浮かばない、と言って逃げた方が無難かと思った矢先、初実の歌声が耳に入る。
「うみーはーひろいーなー、おおきーいなー」
ここしか歌詞を覚えていないのか、先から同じ部分を繰り返し歌っている。
健太郎は意を決する。
「初実さんに、納品行かせてみるのは、どうでしょう」
健太郎に視線が集まる。後は野となれ山となれ、と健太郎は早口で続ける。
「テレビとか雑誌を見た人が覚えているのって、初夢草より、いや、初夢草は素晴らしいんですけど、何ていうか、人の顔だと思うんです。だからもちろん、初継さんが納品に行くのも効果的なんですけど」
「ん、ようわからんな。初実の方がええんか」
初継が身を乗り出すと、緊張が高まるが、健太郎は唾を飲んで言う。自然と声量が大きくなっていた。
「あの、内容自体が泣けるものが多いじゃないですか。だから、初実さんが納品している姿って、成長とか、その頑張っている感というか、お客さんの心に響くと思うんです」
食卓が沈黙する。「初実さんの明るさは印象に残っている人多そうだし」という健太郎の呟きが尻すぼみに消えて、無音になった。
「でもーー」
朝子の声に、初継の声が被さる。
「それや、明日からそれやろう。ええやないか、健太郎、ナイスアイデア」
初継はグッジョブと親指を立てる。
「いや、明日じゃなくて今週末に番組の放送終わった後の方が反響ありますよ」
守も嬉々とした声ではしゃぎ出す。
朝子の顔は依然、強張ったままだ。
「でも、待って。初実に納品なんか任せられるとね。金原さんみたいな荒っぽい人もいっぱいおるし」
「もちろん、ひとりで行かせるわけじゃありません。誰か、必ず付き添って、付いていきます。それに、女性なので、キャベツのコンテナとか、重いもの持たせるのは大変だし」
「何、私も女性よ」
朝子の主張は浮き立つ男性陣の耳に届かない。
守が大きな手で健太郎の背中を叩く。高身長でがたいのいい守に叩かれると、びりびりと痛みが走る。
「健ちゃん、冴えてるじゃん。ここで出るとはなあ、大学卒業と中退のキャリアの差が。同じ大学出てるとは思えないよ。あ、俺出てねえか、中退だから」
自分の冗談で大笑いする守に同調して、初実も大笑いする。
健太郎も久しく自分の意見が認められて、嬉しくも照れ臭くなり、恥ずかし気に笑う。
「どうした、健太郎。そんなアイデアあるんやったら早く言ってえな」
「いや、あの、俺も海行きたいんで」
些細なアイデアで舞い上がった男性陣は、これを『健太郎作戦』と呼び、テレビ放送の翌日の実行を決めた。
続く
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【罪状】業務妨害罪
まだ仕事が残っている健太郎を、初実がおままごとで妨害したため。
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