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悪役、或いはばいきんまんの話
どうも、筒子丸です。
俺はガキの頃、アンパンマンのアンチだった。
勘違いのないよう言っておくと、アンパンマンの番組自体は大好きだった。毎週流れるのが楽しみで、それでいて憂鬱だった。何故憂鬱だったか?冒頭で言った通りだ「アンパンマン」と言うキャラクターが大嫌いだったからだ。
アンパンマンと言えば子ども達の人気者、みんなのヒーロー、やさしいみんなのアンパンマン。だが、そんなのはクソガキの目線だ。
アンパンマンは努力をしない。努力しているのはピンチの度に駆けつけ、顔を焼き、超コントロールで投げてくれるパン工場の面々だ。アンパンマン自身は恵まれたフィジカルと飛行能力でいい具合に戦い、ピンチになったら復活させてもらって適当な打撃に「アン」だけ付けたお粗末な名前の必殺技を繰り出せば一件落着。みんな「ありがとうアンパンマン!」と時に涙しながら感謝する。恵まれた才能だけで周りから感謝され、ヒーローをやり、日本中の子どもたちの憧れとなる。そんなアンパンマンの影に、作品の誕生以来ずっと隠れ続けて来た男、いや「漢」が居る。
ばいきんまんだ。
ばいきんまんは努力家だ。圧倒的なパワー、不公平な程のサポート、名声。全てを持った相手に何度も、何度も立ち上がる。何度「ばいばいきーん!」で空の彼方へ飛ばされようとも、必ず空の彼方から、前回とはまた違った方法でアンパンマンに立ち向かう。研究を重ね、より強いメカを、より強い薬を、より強い「ばいきんまん」を求める。俺は一目見た時からそんなばいきんまんの虜だった。だだんだん、もぐりん、バイキンUFO。どれも洗練されたデザインで、カッコ良かった。ほのぼの穏やかなパン工場なんかよりも、雷の鳴り止まない要塞のようなバイキン城が好きだった。そんなばいきんまんを、周りのガキ共は嫌う。ばいきんまんが出て来たら「あんぱんまーん!」と助けを乞う。誰もばいきんまんに声援は送らない。俺は何故そんなにみんながばいきんまんを嫌うのか、理解できなかった。一度、たった一度でいいばいきんまんに勝って欲しかった。惜しいところまでじゃない。追い詰めるだけじゃない。アンパンマンを、空の彼方まで吹き飛ばして欲しかった。そんな光景を夢見て毎週、今回こそは、今回こそは!とテレビを見て、おもちゃのもぐりん片手に応援した。だが、物語は覆らない。当たり前のように勧善懲悪が繰り広げられ、俺は毎週不機嫌になっていた。
映画版はもっと惨い。
映画版では、ばいきんまんがいつもの何倍もアンパンマンを追い詰める。本当に勝てるんじゃないかと思わせてくれる。でも、そんなのはまだプロットを知らないガキの目線だった。
アンパンマンが追い詰められれば追い詰められる程、アンパンマン号が現れた時にガキ共は湧く。そして、俺は泣く。毎回、毎回期待をしては泣いていた。
俺がアンパンマンから離れていったのがいくつの頃だったのか、はっきりとは覚えていない。周りの流行りに着いて行っただけなのか、もうばいきんまんが負けることに耐えられなくなったのかはわからない。だが一つ確かなのは、俺がばいきんまんを離れた後も、ばいきんまんは毎週、毎週立ち上がっている。諦めずに何十年も挑み続けている。時に我々も、恵まれたアンパンマン共にボコボコにされ続け、嫌になる日もあるだろう。泣きたくなる日だってある。だが、我々は立ち上がらなくてはならない。だってばいきんまんもまだ、諦めていないのだから。