ウソとり
私たち夫婦はかつて大阪の都会の方で暮らしていた。
大通りに面していて駅まで5分。大主要な街には電車を使わずとも、歩いて行けるような場所だった。
窓を開けると、ビュンビュンと車が走っていて、それは夜の帳が下りても続いていた。
その音は私にとっては心地よく、一定のリズムで流れていく走行音を聞いて、自分はひとりじゃないと安心して眠りについていたのだった。
そんな土地柄だったため、自然を感じられるものに敏感であり、見つけたときは嬉しかった。
特に心を弾ませたのは、ベランダの手すりにスズメがとまるのを見たときだ。
音をたててしまうとすぐに逃げてしまうので、そろりそろり窓に近づく。注意して歩いたつもりでも、人間の気配を感じとったスズメたちは、マンションやビルの隙間の小さな空に飛びたっていった。
他にも、割れたアスファルトから咲くど根性タンポポや、マンションの住人たちが楽しむベランダ菜園の様子。
都会も心の持ちようでは自然が多くあるものだ。
ある春の日。
暖かかったので、窓を開けて風を取り入れていると、珍しい音が風とともに部屋に入ってきた。
それは、うぐいすの鳴き声だった。
きれいな声でホーホケキョと鳴いている。
大阪のど真ん中で聞けるなんてすごいことだ。
私は、夫に「うぐいす鳴いてるで!!めっちゃ春やん!!」とテンション高めに知らせた。
すると、駄目になるクッションに骨抜きにされていた夫は、炭酸が抜けたコーラのような声で、
「そんなん、うそもんに決まってるやん。うそや、うそ。」
と返され、会話は終了した。
ちょっとした雑談だ。
仮に本物のうぐいすじゃなかったとしても、もうちょっと会話を続けてくれたらいいじゃないか。
それなのに一刀両断しやがって〜と軽く気分を害した私は、この声は絶対に!ほんまもんのうぐいすや、と意地になって応戦した。
どちらも負けず嫌いの意地っ張り夫婦。
うぐいすだ、いいやうぐいすじゃないと応戦を繰り返したところ、夫がひとこと。
「ウソとりや」
ウソとり(not real bird )
また夫が変な言葉を作り出した。
意味が分からん。なんなんだウソとりって。
曰く、あの声はあまりにも機械的なので、鳥の種類が何であったとしても、本物の鳥じゃないだろう、とのこと。
そう言われるとそうかもしれない。
三人兄姉末っ子の私。
年上の人から断言されるのには弱いのである。
白と言われたら白なのだ。
しかし、もうここまできたら後に引けない。
今日は気をしっかりもって、絶対ほんものやと言い返す。
最後に調子乗りの私のひとこと。
「本物のうぐいすっていう証拠とってきたる!」
◯◯◯
1年前ここまで書いて、下書き状態に終わっていた。
今回投稿するにあたって、大阪時代のことを過去形にしたり、加筆修正は行ったが大筋はそのままだ。
あのあと、しばらくはうぐいすの証拠を探しに散歩に出かけていた。
近くの公園を散歩したり、街路樹の上の方を見たりした。
すると見つかったのである。
not real birdの方の証拠が。
ウソとりは近所の街の電気屋さんに住んでいた。
前を通ったとき、キレイなホーホケキョが聞こえてきたので上下左右見回すと、明らかに電気屋さんのパソコンから流れていた。
今考えると、そりゃそうだなぁと思う。
現在住んでいる場所は、自然豊かな場所で野鳥の声がよく聞こえる。
もちろん本物のうぐいすの声もだ。
日常的に聞いているとよく分かる。
本物のうぐいすは、こんなに上手に鳴けない。(もちろん鳴けるのもいる)
調べると、うぐいすは練習を繰り返し、ようやくきれいに鳴くようだ。
確かに、聞こえてくるのは
ホーーホキョッ のようにビミョーに惜しい鳴き声である。
また、うぐいすは春にしか鳴かないと思っていたのだが違うらしい。
山と渓谷社から出版されている、『あした出会える野鳥100』という本によると、
先ほど練習して上手になると書いたが、日照時間も関係するらしい。
鍛錬を重ね体つきも成長し、上手になる。
人間と同じなんだなぁと感心した。
日々の鳴き声を聞いていると、愛着が湧く。
前よりホーーーって溜めれるようになったんだなぁ。
あともうちょいでキレイにホケキョって言えそうだなぁ。
毎年冬から春に変わる寒暖差に気持ちもこたえていたけど、今年はウグイスの頑張る声を聞いていたから、メンタル的にはマシだった。
ウグイス様々である。
今、近所にいたウグイスの声は聞こえてこない。
仲良く夫婦で暮らしているんだろうか。
夏頃戻ってきこないように頑張るんだぞ。
今は目が覚めると、朝からイソヒヨドリの赤ちゃんの、ぴぃぴぃご飯をねだる可愛い声を耳にしている。
昼は、職場の軒先に巣を作ったツバメが子育てを頑張っているのを見ながら仕事する。
そして、夜。カエルの大合唱を子守唄に眠りにつく。
静かだけど騒がしい田舎の日常。
なにもないけど、自分が目を向ければ面白いことがたくさんある田舎の日常。
これからも、自分なりに楽しいことを見つけていきたいなと考えた春だった。
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