ゆく脳、くる脳
どうも、ゴリ松千代です。
「今年もあっという間に過ぎたね」、というセリフをよく聞く。このクソ世知辛い世の中を生きる上での会話術、あるいは処世術として、この定型文は使われるのだろう。人と会う機会の増えるこの年の瀬、あまり尖った事を言うと変に目立ってしまう事もあるからだ。定型文にはそういった良さもあるが、その辺に思う事はまた別の機会に。
ここであえて私は声を大にして言いたい(この言い方もステレオタイプの慣用句だな、という感じがして実の所あまり好きではない)。「いや、ちゃんと今年の出来事を思い返せばそんな事はない」と。
子どもを持って特に思う。学生時代は学校行事、大人として言い換えるのであればイベントが逐一用意されている。「◯月はあんな事があったね」「◯月はこんな事があったね」と思い返しやすいのだ。
大人達よ、言うほど「あっという間」か?思い返しにくいだけだ、しっかり思い返してみよう。私は今読者に語りかける事しか出来ないのでそちらの『今年』には干渉出来ないが、一月(ひとつき)に一つだけで良い。「そういやあの時何があったかな」と、それだけで大晦日に浸る事が出来る。
何気ない写真を毎月1枚撮っておくのもオススメだ。私は子どもを含めた写真を毎月必ず撮るようにしており、毎年この時期に12枚綴りのカレンダーを作って私の祖母(子ども達にとっては曽祖母に当たる)へプレゼントしている。翌年、1月なら昨年の1月、2月なら昨年の2月と、昨年の事まで思い返せてしまう。過ぎゆく時間の美しさよ。
私は『今年』に学ぶ事がたくさんあった。そもそもnoteを頻繁に書いているので読み返すだけで一年が長かった事はよく分かる。来年も今年を覆すような思考へ至る事があるのだろうな……と未来の私自身へ期待の眼差しを向けているのは、少し欲が出ているだろうか。そんな私すらも今は頼もしいよ。
来年も字を打つ年にしよう。ゴリ松千代でした。