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K SIDE:PURPLE 10

著:鈴木鈴

「さあ、張った張った!」
 相馬が部屋に入ると、そんな声が響いてきた。
 広々とした大部屋の一画に、10人ほどの男たちが群がっている。ぼろぼろになった畳の周りに座布団をばらまいて、それだけで賭場ということらしい。中盆はおらず、ツボ振りだけですべての進行をしている辺り、賭けられればなんでもいいということだろうか。
「さあ、丁ないか、丁ないか!」
 ツボ振りの声に誘われるようにして、男たちは目の前に札束を積み上げていく。焼け焦げているものもあれば、血の滲んだものもある。『戦場』から持ち帰った『戦利品』だ。使う場所も時間もほとんどないだろうに、彼らがやたらとカネを持ち帰ってくることが多いのは、前身の習性というものだろう。裏社会の構成員は、カネに執着するものだ。
「コマが揃いました。勝負。――ニロクの丁!」
 2つのサイコロがツボの下から現れると、それだけで男たちは歓声と嘆息をあげた。相馬はそれを冷ややかに眺める。明日をも知れぬ命だというのに、たかがサイの目で一喜一憂できる彼らが、愚かしくもあり滑稽でもあった。
 と――
 そのうちのひとりが、微動だにしていないことに、相馬は気づいた。
 彼らの代名詞であるブラックスーツを脱ぎ捨てて、上半身をむき出しにしている。その背に刻まれた見事な和彫りの刺青は、しかし、そのほとんどが赤黒い火傷によって覆われていた。
《煉獄舎》ナンバー3――柊刀麻。
 相馬の、目当ての人物だ。
 片膝を立てて座りながら、柊は傍らに抜き身のサーベルを転がしていた。前回の抗争のときに、《セプター4》から奪ってきたものだろう。まさしく剣呑といった様子に、凶悪を絵に描いたような《煉獄舎》の連中でさえ、それとなく距離を取っている。
 小さく息をついてから、相馬は柊のすぐ横に立った。
「調子はどないや、柊?」
「…………」
 柊は目だけで相馬のことを見上げる。灰に埋もれた熾火のような瞳。常人ならば直視しただけで失神するであろう視線の圧を、相馬はへらへらとした笑みだけで受け止めた。
「ちょぉーっと聞きたいことがあるんやけど。少し時間、ええか?」
「後にしろ」
 短く、それだけを柊は答えた。相馬は柊の前にある畳を見て、軽く肩をすくめる。
「あ、そ。ほな、ここで待たせてもらうわ」
 シガレットケースからタバコを取り出して、左手の『ライター』で火を点ける。紫煙をくゆらせながら、相馬はぼんやりと賭場全体を観察した。そこにたゆたっている、空気のようなもの。《煉獄舎》にとっては呼吸するのが当たり前の、ある種の雰囲気を。
 すなわち――
「コマが揃いました。勝負――」
 ツボ振りの手が、サイの目を明かそうとした、その刹那。
 鋼色のサーベルが、畳に叩きつけられた。
「ぎッ、ああああああああああッ!?」
 絶叫と共に、ツボ振りの指がぼとぼとと転がった。断面から鮮血があふれ出し、畳を赤黒く染める。激痛に顔を歪めながら、それでもツボ振りは怒りの叫び声をあげた。
「て、めえ――なにしやがるッ、柊ィ!?」
 サーベルを大鉈のように振るい、ツボ振りの手を中ほどまで切断したというのに、柊の顔にはどういう変化も表れていなかった。つまらなそうな仏頂面のままで、柊はぽつりと、
「サマだ」
「ああッ!?」
「うちの組じゃ、イカサマした奴にはこうしてた」
 タバコを吸いながら、相馬はふっと笑う。
 このツボ振りは、確か《煉獄舎》に入ったばかりの新人だったはずだ。少しでも柊という人間を知っていれば、そのような舐めた真似は決してできなかっただろう。あるいは、イカサマ云々が単なる柊の言いがかりなのかもしれず、ただ暴力を振るう口実にしたかっただけなのかもしれない。
 まあ、どちらでもいいことだ。相馬は床にタバコを捨て、靴のつま先で踏みにじった。
「ざけんじゃねえぞ、幹部だからって、そんな言いがかりが通用すると思ってんのか!?」
 茫洋とした表情のまま、柊はなにも答えない。ツボ振りは怒りに歯を軋らせながら、だんッ、と左足を畳の上に踏み出した。その脛を覆う火傷から、異能の炎が勢いよく巻き上がり――
 相馬の左手から、赤い光が閃いた。
 意思によって自在に伸びる、高圧高温の『鞭』。獲物を狙う蛇のように身をくねらせて、その光はツボ振りの左目を貫き、そのまま後頭部から飛び出した。
 脳の機能を失ったツボ振りの身体が、自らの指の上に倒れ伏した。
 柊が、じろりと相馬を見上げた。その手は、いまだサーベルを握っている。
「余計なことをするな」
 相馬は、はん、と小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
「おまえに暴れられたら後片付けが大変やろ。その立派なモンモン使うのは外だけにせぇ」
 柊の異能は、その背中に彫りつけられた刺青から発動する。戦闘機のアフターバーナーのようなその力を、こんな室内で使われてはたまったものではなかった。
 柊はそれでもまだ、じっと相馬をにらみつけていたが――やがて興味を失ったように視線を外すと、その場に立ち上がった。
「片付けとけ」
「うす」
 数人のクランズマンが頷き、血を吸った畳や札束、ツボ振りの死骸を片付けはじめた。柊の暴虐を、咎めるものはどこにもいない。柊が幹部で、ツボ振りが新入りだからではない――柊の方が、強いからだ。
《煉獄舎》に、秩序と呼べるものは存在しない。あるのはただ、強いか弱いかという尺度のみだ。戦って生き残ったものは強く、死に絶えたものは弱い。そして、弱者や死者は等しく無価値である。《暴虐の王》を戴くクランの、それがただひとつの理だった。
「で?」
 柊に訊ねられ、相馬はようやく自分の用件を思い出した。
「ああ、そや。おまえんとこの原木、今どこにおる?」
「バラキ……?」
 柊は眉間に皺を寄せた。原木は柊の部下につけたはずだが、まるで覚えていないらしい。相馬は呆れつつ、柊にわかるように説明する。
「ほれ、あの――何ヶ月か前に入った、『右手』や」
「ああ、あいつか」
《赤の王》のインスタレーションを受けた人間は、迦具都の性質を映し出したかのように凶悪なエネルギーによって、身体の一部を必ず破壊される。相馬であれば左手の小指、柊であれば背中、そして原木条也の場合、それは右手だった。
 損壊した部位は、異能を発動させる媒体にもなる。顔を覚えるよりも失った箇所を言った方が、早い場合もあるのだが――
 柊は、あっさりと首を横に振った。
「知らん。しばらく見てねえ」
「……あのな。自分の部下やろ」
「どいつが生きてどいつが死んだかなんて、いちいち覚えてらんねえよ」
《煉獄舎》において、クランズマンの死は日常の出来事だ。《セプター4》との戦闘で命を落とすものもいれば、先ほどのツボ振りのようにクランズマン同士の内輪もめで死ぬものもいる。新陳代謝するように入れ替わる人員を覚えるつもりなど、武闘派の柊は持ち合わせていないのだろう。
「死んだか捕まったんだろ。珍しい話じゃねえ」
「まあ、そやろな。他に見た奴もおらへんし、いなくなったのは間違いないな」
「そいつが、どうかしたのか」
 無感情な柊の目を見返し、相馬は肩をすくめる。
「いくつかカネになる情報を握っとったんやけどな。どうも、その全部を俺には伝えてなかったようなんや。で、話を聞こうかと思ってな」
 この場合、『話を聞く』より『身体に聞く』と表現した方が的確だろう。柊も、元は反社会組織に属していた人間だ。それだけに話は早かった。
「じゃあ、飛んだんだな。追うか?」
《煉獄舎》から逃げ出すクランズマンは、それほど多くない。もともと入ってくるのは、この世界に居場所のない命知らずばかりなのだ。己の生命を燃やし尽くすことができれば、自分の生死など知ったことではないというはぐれ者の集まりなのだが――何事にも、例外は存在する。
「そやなァ……」
 顎に手を当て、相馬は思案する。原木が持っている情報そのものより、裏切り者や脱走者を放置しておいていいのかという問題ではある。それで揺らぐような《煉獄舎》ではないが――そもそも《王》である迦具都自身、自分が組織に所属しているとは考えていない――なにかしらのケジメはつけさせなくてはならない。
「そんじゃ、見かけたら適当にコマしといてや」
「よし」
 柊はかすかに笑う。事実上の、それは殺害命令だからだ。反社会組織から《煉獄舎》に転んだ柊にとって、己の命を燃やせるのは、他者との命のやり取りでしかない。
 サーベルを握ったまま、柊は悠々と歩いて行く。その背中を見送りながら、相馬は再びタバコを点け、紫煙を吸い込んだ。

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