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日本語って難しい。



とかく日本語の表現は難しい。
私は子供の頃から、意味が分からないと思考が止まってしまうのです。

えっ? 何それ?

一番厄介なのは、試験のときです。

中学の時
英語の試験で、ことわざを英語に訳す問題が
出題されたことがありました。

覆水盆に返らず
解答
It is no use crying over spilt milk.
(こぼれたミルクのことを嘆いても無駄である。)


私は、思考が止まりました。

えっ。盆 ⁇

薄っぺらい盆に水なんか入れてさ。。
どうして、コップ(器)に入れないんだろうか?

一事が万事、そんな感じで、前に進めなくなるのです。

その頃はGoogleなどありませんし、
私のように疑問に思う友人もいませんでした。
だから、この答えを明確に応える人もいなかったのです。

ある日、その答えを偶然知るに至ったのです。

由来
紀元前、周王朝の創建に功績のあった太公望のエピソード。
太公望がまだ貧しかったころ、妻は彼を見限って出て行ってしまいました。ところが、太公望が周の国で高い地位に就いたとたん、彼女は戻ってきて復縁を求めます。すると、太公望は水の入った容器を傾けて中の水を地面にこぼし、「覆水は定めて収め難がたし(こぼれた水は元には戻せないとしたものだよ)」と言って、復縁の意志がないことを示したということです。
この「盆」は、食器などを載せる盆ではなく、素焼きで浅めの容器。


それ以来、言葉のオモシロさに魅了されるようになりました。


先の諺のように、言葉の中には、
中国からの言い伝えが、今も使われているようです。

例えば、

この会社は、杜撰ずさんな経営をしている。

などと言います。

杜撰ずさん?。。

あまりよい意味ではないだろうと見当は付きますが、

果たして

由来
「杜」が中国王朝の宋の時代にいた杜黙という詩人、
「撰」が詩を作ること。
杜黙が作る詩には、格式に合わないものが多かったということから、
いい加減や手を抜いている時にときに使われるようになった。


えっ、人の名前なんだ。
それって、子孫や末裔は困るのでは。。
だって、例えば、タナカさんが作ったものが、良くなかったとして
(タナカさんスミマセン。例えですので。)
悪いものの代名詞として、後々まで語られ、
まして、外国にも波及するなんて、そんな恐ろしい。

◻◻◻◻◻◻◻◻

ドラマなどで、
結婚の許しをもらうため、彼女の両親宅に行くも、
突然、父親が怒りだして


どこの馬の骨か分からない人間に、
うちの可愛い娘をやれるか!!


最近では、あまり耳にしないセリフではありますが、

えっ、馬の骨?。。

何で、急に馬の骨が出てくるんだろう。
骨は骨でも、馬でなくてもいいのでは。と思うのでした。

由来
中国では、馬の骨は役に立たないうえ、大き過ぎ処分にも困るとされ、
ここから、誰にも必要とされず役に立たない者の意味で、
「馬の骨」と言うようになった。
馬は、身近な存在だったこともあるのです。
さらに、馬の骨は「大人であるが成長過程や職業がわからない」
といった意味も持つようになり、現代では主にこの意味で使われている。



諺・慣用句


諺・慣用句が、また難しい。
勝手な解釈をしたり、意味不明で混乱したり、
小学生であったことも大いに関係するのかもしれません。


🐄 牛にひかれて善光寺

可哀想に、老婆が運悪く牛に轢かれてしまい
善光寺で、お葬式をしたのかと思っていました。

注釈
昔、長野の善光寺近くに住んでいた不信人で欲深い老婆が、
さらしていた布を隣の家の牛が角に引っかけて走り出したのを見て、
その牛を追っていくうちに善光寺にたどり着き、
それがきっかけで度々善光寺に参詣するようになり、
信仰の道に入ったという言い伝えから。
思いがけず他人に連れられて、ある場所へ出掛けること。
また、他人の誘いや思いがけない偶然で、
よい方面に導かれることのたとえ。



🦶 足元を見る


小学生の私は、雨の日など、出かけに母親から、

足元を見なさいよ!!

と注意を受けていました。

随分以前に、Kiroroというデュオが
未来へという曲を歌っていましたよね。


🎵 ほぉら~ 足元を見てごらん


ところが、
時代劇などを見ていると、
借金のカタに、若い娘さんを連れ出すシーンで

足元を見やがって!!

と借金取を罵倒することがあります。
一方では、見るよう促し、
他方では、見たことを非難しているのです。
小学生の私は、混乱したのでした。


由来
昔の街道筋や宿場などで、駕籠舁きかごかき馬方うまかたが、旅人の足元を見て疲れ具合を見抜き、その疲れ具合につけ込んで、高い値段を要求していた。
法外な値段であっても、疲れていれば客はその金額で了承してしまう。
そのことから、相手の弱みにつけこむことを
「足元を見る」や「足元に付け込む」と言うようになった。
足元とは、境遇や身の回りの状況などを指す表現。



🤥 嘘つけ。


子供の頃、親に叱られたりして、言い訳すると

嘘つきなさい。

と非難されたことはありませんか。
子供心に『だから、嘘ついてますやん。』と思っていても、
口が裂けても言えません。
母は、「嘘ついているでしょう。」と言えばいいのに、
「嘘つきなさい。」と どうして命令しているのでしょうか。

定かではありませんが、一説によると、
誰にでもバレるウソをついた人に対して
「ウソをつくならつきなさい。お見通しですよ」と
非難していたのが、短くなって
「ウソつきなさい」、「ウソつけ」となったとされています。



💫 のっぴきならない


子供の頃から、時代劇が大好きなのですが、
ときに、岡っ引きが

のっぴきならない用で。。

などと言うことがありました。
のっぴき?
何匹?

由来
「退き引き(のきひき)」という言葉が由来で、
「退く」と「引く」どちらも避けることや逃れることを意味します。
それに「ならない」という打ち消しの言葉が付いて、
「避けることも引くこともできない」となります。
転じて「どうすることもできない」という意味になりました。


🏃‍♂️ 一目散


これは、私の娘が言っていたのですが、
絵本を読んでいると、

一目散に逃げて行きました。

という件があり、
そのとき、娘はイチモクという人が居ると思っていたのです。
イチモクさん?
誰?

由来
ひと目見る意の「一目」と、漢語の「逸散(いっさん)」
わき見をしない意の「一目不散(いちもくふさん)」から成ったとの説と、
天気を司る「一目連(いちもくれん)」という神の名から成った説と
二通りある。



🚹 コノヤロー

相手を罵倒するのに

コノヤロー!

という言葉があります。
この野郎?
あの野郎?
どの野郎?

あれれ。 野郎の前に、「あの」「どの」をつけると
また印象が違いますね、
何故なんでしょう?

由来
「野郎」 は,もともとは,江戸時代に若い男が前髪を剃り落として
一人前になったことを表す言葉で,
わらは 」 ⇒ 「わらう」⇒ 「やろう」 となったものとされています。
いつの頃からか,前髪を剃った男色を売る若い男をさしていうことが
多くなってきたようです。そんなこともあって,だんだんと男を馬鹿にする言葉になったのだと言われています。




💥 ナンボのもんじゃい!


相手の方から高圧的な態度を取られたり、
無理難題と思われる要求を突き付けられた時に、
見くびられない様に相手に言い返す時のセリフです。
ナンボ?
How much is this ?

由来
「それは自分にとっては大したものではない」という表現です。
「なんぼ」は「何ほど」→「なんぼう」→「なんぼ」に変化した言葉で、
意味は「どの程度」「どんなに」「いくら何でも」です。
「もんじゃい」は「ものであるかいな」→「ものだい」→「もんじゃい」に変化したものと思われます。




👨‍🦲 ツンツルテン


衣服の丈が短くて、足が出ているさまを表現する言葉ですが、
ツンツルテン?
何語?

由来:
丈が短いズボン(袴)は正しい寸法よりも上にあがることから、
寸法が天に釣りあがる=寸釣天(すん・つる・てん)」
からではないかとの説があります。


言葉は生きていて、その時代時代で変化するのですね。



パロディ

オモシロい諺を見つけましたので、ご紹介しますね。


🥦 青菜にしろ

青菜に塩
青菜に塩を振りかけるとしおれるように、
人が元気がなくしょげるようすをいう。 


🗻 塵も積もればゴミの山


塵も積もれば山となる
ごくわずかなものでも、数多く積み重なると
大きなものになることのたとえ。


🚙 千里の道も梅田から

千里の道も一歩から
遠い旅路も第一歩から始まる。
どんな大事業も手近なところから始まることのたとえ。


👵 老婆は一日にして成らず

ローマは一日にして成らず
大事業は長年の努力なしに成し遂げることはできないというたとえ。



タイトルの正しい漢字
 
玉の輿」:貴人の乗る美しく立派な輿(こし)。
 「―に乗る」(女が結婚などによって、富貴の身分になる)


最後までお付き合いいただきまして、
ありがとうございました。


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