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猫島でお会いしましょう。

2022年2月22日。
今世紀最大で「2」が並ぶ日は、「にゃん」という特徴的で、長年人類を魅了してきたあの鳴き声になぞらえ、『#猫の日』なんて呼ばれる。

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猫という生き物は、本当に不思議な生き物だとつくづく思う。

空前絶後の #猫ブーム などと言われ、SNSは猫の動画で溢れ(おれのターゲティング広告がそうなっているだけかもしれないが笑)、街には多くの猫グッズがひしめき、猫をテーマにした店や商品が立ち並ぶ。#ネコカフェ もその最たる例の一つではなかろうか。

通い続けている香川県の #男木島 はいわゆる『#猫島』として全国的に知られ、週末や休日には猫目当ての観光客が多く訪れている。運用している男木島の猫たちのTwitterのフォロワーはあっという間に1000人を超えた。


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「猫島」ー レッテルが招いた悲劇

しかし、男木島の猫たちは今でこそ平和的に見えているが、2016年に全頭がTNR(Trap Neuter Releaseの略。野良猫を捕獲し、避妊・去勢して元いた場所に戻す活動)されるまでは大きな問題にもなっていた。

動物写真家として知られる岩合光昭さんのテレビ番組に映った男木島には、猫目当ての観光客が大挙して押し寄せ、無責任なエサやりが行われた。TNRされていなかった当時の猫たちはますます増え、島民の数に勝るとも劣らない数を記録した。

人間社会の中で暮らす猫たちには、数値化はされずとも適切な密度というものがある。許容量を超えた猫たちがどうなるのか。その悲しさは筆舌に尽くしがたい。

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海岸に捨てられた生ごみを食べる猫(佐柳島)

観光客から供されるエサをめぐって猫たちは争い、飢えた猫たちは畑を荒らし、魚を求めて漁網を引き裂いた。家屋に浸入して仏壇の供え物を漁り、いたるところに糞尿をまいた。観光客の与えたエサの残骸は路上で腐り、ひどい御州を放って景観を損ねた。当然、島民との溝と確執は深まり、猫たちは忌み嫌われた。

猫同士でも悲惨な争いが生まれた。オスと違って、授乳中の母猫は発情しない。オスは無理やり発情させるために生まれて間もない子猫を噛み殺し、近親交配を含む交尾が盛んにおこなわれた。病弱な個体が増え、感染症も蔓延し、多くが飢えて、弱り、苦しんでいた。そこには「島のスローライフと癒しの猫ちゃん」なんていう光景からはかけ離れた惨状が広がっていた。

こんな現実が、男木島に限らず日本各地で「猫島」と呼ばれた島で起こっていた。一部の島では島民5人に対し、猫の数が300を超えるような事態すら招いたという。そこでは至る所にかみ殺された子猫の頭部が転がっている地獄絵図が広がっていた。
そもそも、「猫島」というレッテルは外部の人間が勝手につけた呼称であり、島の自発的な観光PRではない。猫を資源とした観光など想定していない島では、ゆったり暮らしていたところに突如として多くの観光客が押し寄せ、住宅環境は不衛生にされ、浮浪する猫たちに生活環境が侵される事態だったのだ。


猫島の猫をなんとかしよう!

そんな中で立ち上がったのが、 #公益財団法人どうぶつ基金 だ。どうぶつ基金は、動物の適正な飼育法の指導・動物愛護思想の普及等を行い、環境衛生の向上と思いやりのある地域社会の建設に寄与することを目的とした財団法人で、犬猫の不妊手術を奨励する事業や、動物愛護思想の普及啓発に努めている。

基金によって集められたお金を使って、どうぶつ基金メンバーと獣医師たち、男木島の有志コミュニティ「男木さくらねこ推進会」と香川県のNPO法人「BONにゃん」の協働の下、2016年夏、男木島の160を超えていた猫たちはすべて不妊手術が施された。


あの救済に近しい手術から5年。猫たちは半数近くまで減り、島外からの寄付と、一部の島民の愛ある献身的な猫たちの見守り・世話活動の継続によって、猫たちは飢えることなく、比較的幸せそうに見える。むろん、野外であることには違いなく、寒風や猛暑、悪天候の中で彼らは生きていかねばならないことに違いはないが。

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糞尿などの公衆衛生、夜鳴きの騒音被害、生態系の破壊など、野良猫という存在が起こしてしまう悲劇は数を挙げればきりがない。加えて、満足なエサや寝る場所もなく、暑さや寒さのなかで厳しい生存を要求される野良猫たちの苦痛はいかほどか。交通事故という危機にも隣り合わせで生活し、ロードキルによって死んでしまう猫の数は殺処分数にはカウントされていない。


離島という環境は、良くも悪くも閉ざされている環境だ。
そんな環境では野良猫の増加という事態が熾す悲劇が深刻化しやすく、いつも批判と憎しみの目を向けられるのは、罪のない猫たちだ。

どうぶつ基金の離島TNR活動は称賛に値する。本当にいつもありがとうございます。昇給したら寄付額を増やします。


猫たちはそれでも生きていくしかない。
与えられた命を全うしようとするすべての生命と同じく、猫たちは自分たちに与えられた環境で、与えられた生を全うしようと今日も懸命に生きる。

私たちすべてが当事者であり、その命を生み出していることに責任があると考えている。

この猫の日という日に、私たちは改めて何をして、何を思うべきだろうか。
SNSで可愛い猫をみつけて「いいね」することもその一つだろう。
猫グッズを買い、生きた猫そのものを子どもや孫にプレゼントすることもその一つなのかもしれない。

一方で、里親募集を探してみたり、保護猫の団体に関心を持ってみたり、世界のペットの現状に関心を持ってみるのもその一つかもしれない。

野生元来の生き物ではなく、これほどまでに複雑化した愛憎の中を生きる猫という動物の運命は、間違いなく私たち「人」の意思と行動とによって定められている。



おまけ「人間と猫の歴史」

余談程度に、人間と猫の歴史を簡単にご紹介!!

①人、猫に出会う。

1万と4千年前、人間は動物を「飼い」始めた。
初めて人類と暮らし始めた動物は犬だった。
犬は狩猟の良きパートナーを務め、番犬として機能した。
やがて、人類の生活スタイルは採集・狩猟生活から園耕へと移り、農業社会が生まれていった。
人は、より効率的に農業や狩猟を行う方法を考えるようになった。
こうして生まれたのが、動物を捕獲して囲い、生殖を管理し、その肉や乳を安定的に手に入れる「家畜」と、農地を耕す「動物の使役」だった。
動物の所有数が集落や個人の富の象徴となり、身分や格差すら生まれた。

人類と猫が出会ったのは、1万年前のそんな社会。
肥沃な三日月地帯で出会った人類と猫は、従来の犬や家畜のような「使役する労働力・食料」という動物たちの役目を考えると、とても特殊なものだった。

そう、人は猫に「ネズミ捕り」の仕事を与えたのだ。

だから正確には猫は飼われ始めた、というよりは人間の近くに住み始めた、という表現の方が正しいのかもしれない。穀物庫に群がるネズミの対処と狩り場の提供というwin-winの関係だったともいえるのかもしれない。

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②人と歩んだ1万年の歴史

人は、多くの動物に宗教的なものから俗的なものまで、様々な象徴や印を与えてきた。もちろん、猫もその例に漏れない。

■古代
古代エジプト人は猫に聖性を見出し、バステトという神の姿を猫に捉え神格化した。
加えて、イエネコとしても飼育され、死んだときは家族同然に嘆き弔い、。ミイラを作った。

一方、唾液が不浄とみなされるヒンドゥー教では、体を舐める汚い動物として嫌われたりもした。


■中世
中世のヨーロッパではひどく残虐な扱いを耐え忍んだ。
ネズミ捕りとして一定の役目を与えられてはいたものの、どこにでもいて、捕まえやすいことから金銭的価値はないものに等しく、苦痛表現がわかりやすいものとして虐待の格好の対象にされた。猫を焼き殺す儀式が各地に存在していたほどだった。


薄明性(夜明けや夕方に活発になる)であること、自分のために狩りをすること、獲物にこっそりと近づくこと、優美さと肉食性のギャップ、そういった猫の特徴は、たいてい人間の持つイメージに負の影響を与えた。猫は魔女の使い魔や化身とされて不吉視され、多くの文学や絵画の中で「自己中心的で卑怯な存在」を表すものとして用いられた。
なぜ魔女は猫を連れているのか?

魔女の宅急便のジジ、ハリーポッターのクルックシャンクス、例を挙げらばキリがないほどに猫は魔女とともに描かれ続けた。
仏教伝承においても、狩りに熱中していたから、という理由で、釈迦が死ぬ間際に別れを告げに生きた動物の中に猫はいない。

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犬や馬と違って所有者の財産や箔に貢献する生き物ではなく、もっと軽視され、何かあれば槍玉に挙げられるような生き物だった。魔女狩りと共に焼殺され、2億人を死に至らしめた黒死病の主犯にすらされたような存在だったのだ。


■近現代
近代になってくると猫の扱いも徐々に変わってくる。
17世紀には帰属によって猫が飼われ始め、数々の文学の中で猫たちは少しずつ好意的なものとして描かれるようになっていく。やがて鋭敏な感性をもつ作家たちに愛猫家が増え始め、猫たちは強い共感性を伴って表現されるようになり、猫を殺すことは人間を殺すことと同じような罪深さや後ろめたさを伴うような表現に代わっていく。

その流れはどんどん拡大していき、血統の重視や恣意的な交配による新種が生み出されるなど、猫は「無垢な可愛さ」としての象徴の階段を駆け上がっていく。
しかし、そこでは猫本来の肉食動物としての野蛮性は都合よく無視された。
これはSNSでの動画、猫カフェ、猫グッズなどの猫ブームを巻き起こしている今日にも通じる流れだ。


ビルクリントンと主にホワイトハウス入りを果たしたファーストキャット「ソックス」、和歌山県貴志駅の「たま駅長」なども特徴的な事例だろう。
今や、猫はその存在証明をこれでもかとともに認められる存在になっている。


おまけ②「猫とジェンダー」

実は猫はジェンダー観にもかかわりを持っている。
「猫」と聞いたとき、思い浮かべる性別は男性だろうか?女性だろうか。
多くの場合、「女性」ではないだろうか。
「雄猫」や「雌犬」が良く聞かれる表現である一方で、「雌猫」「雄犬」はあまり聞かない。

『いつも家にいて、穏やかで優雅、加えて気立てがよく、でしゃばることはない。それでいて裏もあって、どこか読めない奔放さを持つ』

そういった男性に都合の良い女性像を、猫は体よく表していたのだった。

猫は男性にとっての女性を表す像として多く用いられ、「女性の愛は猫と同じで条件付きだよ」などと揶揄されもしたものだった。言語の中にも猫と女性蔑視の痕跡が残っているように思える。

cat(性悪女、娼婦)cathouse(売春宿)
pussy(子猫、女性器):ほしいものとしてあらわされる
猫を被る 猫なで声







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