現地生活ならではの贅沢:オーストリアから楽しむイタリアの週末
日本から海外旅行に行こうとすると、必ず国際線の飛行機に乗らなければならない。島国である日本にとっては当然のことだ。しかし、端から海外で暮らしていると、どこへ行くにもある意味「海外旅行」となる。海外転職をして家族でオーストリアに住んでいた頃、週末にはよくそんな海外旅行を楽しんだものだ。
オーストリアはヨーロッパのほぼ中央に位置する小さな国で、東西南北を7カ国に囲まれている。車さえあれば、それらの国々へ高速道路を使って簡単に行くことができる。すべてEU圏内なので、パスポートコントロールもない。この利点を活かして、家族で近場の「海外」に週末日帰りドライブによく出かけた。
中でもお気に入りだったのはイタリアだ。我が家が暮らしていたグラーツ市からは、高速道路を使って2時間半ほどでイタリア国境にたどり着ける。その途中には、ヴェルターゼーという美しい湖のリゾート地があり、高速を降りて寄り道しても4時間もかからない。国境からそのままイタリアの高速道路に入り、30分ほど南下すると、生ハムの産地サン・ダニエーレ村に着く。イタリアといえば生ハムだが、日本人に馴染みがあるのはパルマ産。しかし、パルマはオーストリアからは少し距離がある。もうひとつの有名な産地であるサン・ダニエーレ村は、国境に比較的近い丘の上にある小さな村だ。村の中心にある教会の近くに車を停め付近を散策してみても、とてものんびりとした雰囲気で民家と個人商店が少しあるだけの静かな村である。
いつも日曜日の朝に家を出て、お昼前にサン・ダニエーレに到着し、休日でも開いている村中心部の「La Casa del Prosciutto 'Alberti 1906'」というレストランでランチを楽しむ。生ハムを前菜に、パスタやデザート、コーヒーなどをいただくのである。ここは自前で生ハムを作っており、地下の倉庫には生ハムの原木が天井からたくさん吊るされている。申し込めば、ガイド付きの工場見学もできるらしい。料金はとてもリーズナブルで、お皿いっぱいに盛られた1人前の生ハムが当時は6ユーロだった(今調べると10ユーロで、まだ安い)。ここの生ハムはパルマのものよりも甘塩仕立てで塩味控えめ、日本人の舌にもよく合っていると思う。もちろん、パスタも美味しくてリーズナブルな価格である。季節が合えばトリュフのパスタも楽しめる。運ばれてきたパスタの上に生トリュフを惜しげもなく削ってくれるため、パスタが見えなくなるほどだ。
ランチ後にさらに高速を南に下りアドリア海まで行くと、海上に架かる長い橋を越えた先にグラードという小さな海辺の街がある。ここまで来ると、海のないオーストリアでは味わえない海の幸をたくさん堪能できる。少し西に行くと有名な観光地であるベネチアがあるが、アドリア海の幸を味わうのであれば、グラードの方がはるかにリーズナブルだ。
19世紀半ばまで、北東イタリアのこの地域はオーストリアの支配下にあったという。一番南はクロアチアに近いアドリア海の港町トリエステまで広がっていたそうで、この辺りまでなら休日の日帰りドライブができる距離である。しかし、オーストリアとは全く異なる食文化を楽しむことができ、まさに海外旅行ならではの異国情緒を感じられるのだ。海なし国に住んでいると、懐かしい潮の香りを嗅ぐだけでも最高にリフレッシュできる。
逆に、日本からイタリアを訪れる場合は、こういった場所へ行くのはちょっと難しい。ミラノからレンタカーで訪れようとすると、グラーツから訪れるのと同じくらいの距離と時間がかかってしまう。外国の慣れない道を慣れない車で長時間走るのは、なかなかハードルが高いだろう。その意味では、もう二度と訪れることのない、現地で生活していた当時だけ楽しめた場所だったのかもしれない。今では、成城石井の生ハムコーナーの片隅にたくさんのパルマ産に混じって1種類だけポツンと置いてあるサン・ダニエーレハムを食べながら、iPhoneで昔の旅行写真を眺めながら思い出に浸っている。あの頃当たり前だった日常も、今となっては遠い昔の良き思い出のひとつになってしまった。