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55歳で会社を早期退職し、3匹の愛猫のお世話をしながら、のんびりセミリタイアライフを楽…

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55歳で会社を早期退職し、3匹の愛猫のお世話をしながら、のんびりセミリタイアライフを楽しんでいるサイドFIRE翻訳者です。過去の海外での面白おかしい体験話を中心に紹介します。

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自己紹介|セミリタイアおやじが海外での思い出話を綴るnote

コロナ禍が始まった直後の2020年6月、31年の会社員生活に終止符を打ち、セミリタイア生活を開始しました。 地方の大学を5年(!)で卒業後、とあるメーカーに技術者として就職し、40歳で外資系部品メーカーに転職。その後、海外エンジニアリング会社への現地就職と海外生活を経て、2020年に55歳でアーリーリタイアしました。 現在は、実務系の翻訳業務をフリーランスとして細々と請負いながら、妻と猫3匹といっしょにのんびりとセミリタイア生活を送っています。資産運用と翻訳事業収入が半々

    • 2005年、満州国・新京(長春)訪問記

      はじめて中国に行ったのは、ある製造業の会社で設計をしていた39歳の時だった。当時ワタシが担当していた製品に、ドイツ・メーカーの部品を採用した。それまでの日本製部品と比べ、その設計の妙に惚れたというのは表向きの理由で、裏の理由は欧州に出張したいからでもあった。その製品がいよいよ量産準備に入り、新しく取引するそのメーカーの生産工程を視察する話があがった。もちろん、設計担当者であったワタシもちゃっかり我先に手を上げ参加することになったのであるが、なんと生産国はドイツではなく中国工場

      • 現代のわらしべ長者|はじめてのファーストクラス

        頻繁に海外出張を繰り返していた時期があった。年に10回以上海外に行く年もあったほどだ。そんな時期、海外から帰国して1週間ほどした時になんだかおなかが痛くなった。それも通常の胃腸の痛みとかではなく、もっと下の方、膀胱の近くに鈍い痛みを感じた。しかも日に日に痛みがはっきりしてきて、ジャンプしたりすると響くようになった。これは膀胱炎かもと、近所の胃腸内科を訪れた。 その街に引っ越したばかりで初めて行く医院だったが、なんだか昭和チックでレトロな雰囲気で、同世代っぽい女医さんに症状を

        • 1991年湾岸戦争真最中の香港旅行記

          30年前の海外旅行は今のようにネット予約がなかったので、直接ツアー旅行会社のカウンターに出向くか、電話帳(これって死語?)のように分厚い貧乏トラベラーの友、旅行雑誌「ABロード」で安いツアーを探すしかなかった。1990年冬、退屈な日曜日の午後、FMラジオを聞きながらいつものようにABロードのページをめくっていると、激安の香港ツアーを発見。これなら冬のボーナスで行ける!と思い、早速電話で申し込んだ。香港往復航空券+ホテル4泊が基本のツアーパックで、現地観光は別料金となっていた。

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        自己紹介|セミリタイアおやじが海外での思い出話を綴るnote

          なぜ献血のできない男になってしまったのか? BSE騒動とイギリス出張

          ワタシは献血ができないらしい。自分勝手を絵に描いたようなセミリタイアおやじなので、特に進んで人助けをしたいと思っているわけではない。しかし、タダで血液検査をしてやろうと企てたとしても、受け付けてさえもらえないようだ。 2000年代初頭、ワタシは仕事の関係でベルギーのブリュッセルに長期間滞在していた。そこを拠点に、ヨーロッパの各地へ訪問を繰り返していた。特にイギリスには工場があり、社内の打ち合わせなどもあったため、よく訪れていた。ちょうどその頃、狂牛病(牛海綿状脳症、BSE)

          なぜ献血のできない男になってしまったのか? BSE騒動とイギリス出張

          デトロイト行きの飛行機で出逢ったワイルドな日本人

          海外を旅していると、普段日本では知り合いになれないような色んなタイプの人に出会うことがある。過去、多くの個性的な人に遭遇してきた。はじめての海外旅行【ロサンゼルス編】で書いた大手ゼネコン社員の登山家の方もそんな一人で、海外一人旅初心者のワタシにとってはかなり強烈なキャラだった。なんせ、グランドキャニオンを歩いて下るような人だったのだから。 今回紹介したいのは、妻とアメリカ旅行に出かけた際に出会った日本人のお兄さんである。お兄さんと言っても、ワタシより3歳くらい年上だろうから

          デトロイト行きの飛行機で出逢ったワイルドな日本人

          恐ろしや!海外レンタカードライブ|地獄のベルギー交通ルール&NZランナバウト衝突事故

          何を隠そうワタシは無類のクルマ好きだが、ここ10年以上は自家用車を所有していないし、日常的に運転もしていない。最近の足はもっぱら電車、JR東日本専門である。家から歩いて10分に駅が2つあり、そこから首都圏のほぼ全ての主要な場所に1時間以内にアクセスできるからだ。それにこんな都会でクルマを持つということは、セミリタイア民のワタシにとっては、耐えられないほど無駄な出費を強いられることになる。 最近では近所に便利なタイムシェアも増え、どうしてもクルマが必要な時はそこで借りることも簡

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          海外出張の思い出【イタリア・ピサ編】  イタリアのトイレはコワイ・・・

          サラリーマン時代、結構あちこち海外出張に行く機会があった。外資系に勤めていた時は当然だが、日本企業にいた時もチャンスがあれば常に海外出張を狙っていたので、色んな国に行って仕事をすることができた。 そんなワタシが最初に海外出張に行ったのはイタリアのピサで、もう30年近く前のことだ。斜塔で有名なピサだが、国内企業で当時担当したプロジェクトがピサの会社との共同プロジェクトだったし、その後転職した外資系企業でもピサに部品工場があったため、何度も出張した縁のある街である。 初めてイ

          海外出張の思い出【イタリア・ピサ編】  イタリアのトイレはコワイ・・・

          35年前 はじめての海外旅行【ニューヨーク編】安ホテルとバーボン

          車社会アメリカの象徴である大都会LAを、へとへとになるまで歩き回ったその足で、最後の目的地ニューヨーク(NY)に向け深夜のナイトフライトで移動した。夜中に飛行機で移動すれば1泊分宿泊費が浮くという、とても単純な理由からナイトフライトを選択したのだ。隣の席にはNYに戻るというビジネスマンのおじさんが乗っていて、まだ社会の厳しさを知らない学生のワタシは、貧乏な会社の人なのかな?と哀れに思っていた。 JFK空港に到着したのは早朝5時ごろだった。アラカンとなった今ではもう6時間以上

          35年前 はじめての海外旅行【ニューヨーク編】安ホテルとバーボン

          35年前 はじめての海外旅行【ロサンゼルス編】大都会の登山家

          最初の目的地サンフランシスコから国内線で移動し、次はロサンゼルス(LA)へやって来た。ここでも、貧乏学生の憧れの国アメリカから、さまざまな洗礼を受けることになった。 LA国際空港に到着してバゲージクレームに行く途中、緊張のあまりトイレ(大きい方)に行きたくなった。でもバッグを早くピックアップしないと他人に間違えて持っていかれないかと心配で、バゲッジクレーム入口横にあったトイレには入らず、まずは自分の荷物の回収に向かった。ところがこんな時に限ってワタシのバックパックがなかなか

          35年前 はじめての海外旅行【ロサンゼルス編】大都会の登山家

          35年前 はじめての海外旅行【サンフランシスコ編】海外カルチャーショック3選

          まだ大学生だった35年前、バックパックひとつ担いで「地球の歩き方」を片手に、開港したての成田空港からはじめてのアメリカ旅行に出発した。アメリカはテレビや雑誌でよく見る一番身近な海外だったが、2次元の世界と実際目で見るのとは大きく違い、見るものすべてがカルチャーショックだった。 カルチャーショックその①「おじいさんの古エレベーター」: シアトル経由でアメリカに初上陸し、最初に訪れたのはサンフランシスコ。個人旅行ツアーの送迎バンに乗り、「そびえる壁」かと思うほどの見たこともな

          35年前 はじめての海外旅行【サンフランシスコ編】海外カルチャーショック3選

          35年前 はじめての海外旅行【成田空港編】   昔は大変だったのよ・・・

          今から35年前、まだ学生だった頃、バックパックひとつ担いで初めて行った海外旅行のことを書いてみたいと思う。あれからたくさんの国や都市に行ったが、これがすべての始まりだった。 あれは大学4年生(実は5年目・・・)の冬、超貧乏学生だったワタシにとって、それまで海外旅行なんて高嶺の花だと思っていた。でも、就職したら海外なんてなかなか行けないかも・・・、最後のチャンスかもしれないのでなんとか学生のうちに行ってみたい!と、急に調査を始めたのがきっかけだった。すると、意外や意外、バイト

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          昭和・平成時代の海外出張はこんなだった

          今はセミリタイアして猫3匹とのらりくらり暮らしているので、暇はあれど旅行とは縁のない生活になっているが、そんなワタシでも、過去の長い会社員生活の中では、たくさんの海外出張をしてきた。ある時はゴールデンウィーク中に突然2日後の海外出張が決まったり、4週間で地球一周(世界一周ではない)5カ国を飛び回ったり、年に10回以上も海外出張する年があったりと、2年の海外勤務も含めて多くの経験をした。そんな昔の思い出話をしたいと思う。 ワタシがまだ新米サラリーマンだった30年ほど前は、今ほ

          昭和・平成時代の海外出張はこんなだった