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海外転職経験:開発現場における日本と欧州のギャップ

転職した欧州のエンジニアリング会社での私の役割は、新製品の設計プロジェクトマネージャーであった。それまで日本で同種製品メーカーに15年勤務し、いくつもの設計プロジェクトを経験してきたし、最後は10人強のグループの責任者として新規開発をこなしてきたので、海外でも十分やっていける自信があった。

具体的な私の仕事は、日本の顧客からの開発委託を受けて、新製品を受託開発することであった。自分ではその製品設計の進め方を熟知しているつもりであったが、欧州の会社でのそれは、日本で経験してきたものとは大きく異なっていた。

日本では、さまざまなシステムや部品の設計に関して「設計基準書」をはじめとした多くの設計資料が整備されている。新製品に使われる新しい部品の設計であっても、同じ種類の部品は過去に何度も設計されており、そのノウハウがこれらの資料に記されている。それを頼りに、新製品の要件に合うよう設計を進めるのが基本であった。これは、過去の部品と同じ方法で設計すれば、その設計には「市場実績がある」というお墨付きが付くためである。

逆に、過去に例のない設計を取り入れる場合、当然ながら市場実績がないことになり、量産後の性能や耐久性などの見通しをつけるのが難しくなる。そのような場合は、実物の試作品を用いてさまざまなテストを行い、長い時間をかけて評価・見極めを実施することになる。

一方、欧州の会社にはこのような設計基準書というバイブルはなく、個々の設計担当者の経験とノウハウに頼る傾向が強い。常に他社の新製品をベンチマークし、新しい設計を研究しており、さらに多くの受託開発を行っているため、設計の機会自体がメーカーの設計者よりもはるかに多い。結果として、個人の経験やノウハウの蓄積が日本に比べて速くなるのである。

また、そもそも量産メーカーではないため「市場実績」を頼りにするという概念がない。では、どのように新設計の採用可否を判断するのかというと、コンピューターシミュレーション(CAE)を駆使するのである。日本でもCAEを使用していたが、実物の試作品をテストした結果として不具合が生じた部分の原因解析や対策検討に用いることが主であった。欧州では、試作品を作る前の段階で、徹底的にCAEを使い、性能や耐久性をバーチャルに評価しているのである。

一言でCAEバーチャル評価と言っても、簡単なものではない。きちんとした3D CADモデルを用意することが前提であり、正しい入力データを使った細かな計算設定が必要である。このような点で、欧州の会社は日本の会社に比べて10年以上先行していると思う。当時から、設計の初期段階から最新CADソフトを使って効率的に3Dモデルを作り込み、材料試験結果やさまざまな関連シミュレーション結果をCAE計算の入力データとして使い、一連のバーチャル評価を行っていた。日本でも3D CADは使っていたが、応用の効かない3Dモデルを強引に作ることが多く、材料試験も十分ではなく入力データも不足していた。解析も単発で行われており、一連のバーチャル評価にはなっていなかったのである。

欧州の会社に転職し、その開発設計手法を実際に経験したことで、それまで日本で培ってきた自信がガラガラと音を立てて崩れた。相当なカルチャーショックであった。しかし同時に、この手法を日本の顧客向けの委託開発プロジェクトに活かし、日本の会社に恩返しができるのではないかというモチベーションが湧いてきたのである。

実際、数々のプロジェクトを担当し、そのたびに欧州の進んだ設計手法を取り入れて日本の顧客に紹介してきた。しかし、残念ながら簡単には受け入れられなかったのも事実である。前述の通り、日本ではあくまで実物の「実績」が重視される。そのため、シミュレーションよりも試作品での実機試験が優先される。実機試験で不具合が出た場合に初めてCAE解析で原因調査と対策を立案する。したがって、欧州のように試作品を作る前にシミュレーションを行い、試作テストをスキップすることには強い抵抗感があったのである。

また、CAEの結果と実機評価の結果が相関するかどうかも、日本のエンジニアにとっては重要な問題であった。欧州では考え方が全く逆で、理論的に正しい方法(計算)でCAE評価を行うことが最も信頼できる評価方法であり、実機評価では限られた数しかテストできないため、確実な評価は得られないと考える。したがって、実機評価はあくまでCAE評価をクリアした後の確認テストとなる。「市場実績」という考え方についても、実は市場で問題が顕在化しなかっただけで、想定外のことが起こらなかったという保証ではないとされる。

日本と欧州、両方の設計現場を経験した私には、どうしても欧州の考え方が合理的に思える。こうした考え方の違いが、イノベーションを生み出す原動力であり、生産的かつ合理的な新製品開発を可能にしているのであろう。今はどうなのかわからないが、少なくとも私が5年前にセミリタイアした時点では、この日欧間の製品開発に対する考え方の違いは依然として大きなギャップがあった。

ここで述べた事例は、あくまで私個人が経験した特定の業界における新製品開発の現場での違いである。そこに限って言えば、こうした差が、日本でイノベーションが生まれにくい原因や、長時間労働、低い生産性の要因のひとつになっているのではないかと感じている。さらに困ったことに、日本が自らの伝統的手法に固執している間に、中国やインド、東南アジアの国々は柔軟かつ貪欲に欧米の手法を吸収しているのである。

今は、若い優秀なエンジニアたちが積極的に海外に出ていく時代である。日本もいずれ海外の合理的な開発手法を取り入れ、自らに合った最善の方法に昇華していくことを期待している。