大腸全摘出
1ヶ月間の集中的内科治療は全滅をしました。
10個目の選択肢は外科手術による「大腸全摘出」しかなくなりました。
内科医から外科医へバトンタッチし外科医を説明を受けました。
大腸全摘出の即決
外科医の先生は内科医とは雰囲気や話し方が全く変わり最初は緊張しました。しかし、落ち着いて話を聞くと簡潔明瞭で先が見える(≒希望が見える)気がして頼もしく感じられました。正直、1ヶ月痛みにのたうち回り効果がなく結局は大腸全摘出なのか、という点には悔しさ、怒り、不安など心はかき乱されましたが、外科医の先生の説明を受けて僕は大腸全摘出の手術を即決しました。決めては下図の手術説明書でした。
1)重症 ⇠ 満身創痍で一目瞭然だったので納得。
2)難治 ⇠ 難病のためそれもそうと納得。
3)大腸癌 ⇠ この状態で発症したら死ぬと思い大腸全摘出を即決。
実際の手術
僕は満身創痍だったので手術前に通常の2倍の量の輸血をしました。
前回書いたソセゴンにつづき、驚くべき効果は輸血です。
1ヶ月間ほぼ飲まず食わずで毎日7時間近く痛みに耐えつづけた結果、体はボロボロになっていました。それが輸血で体内に血が行き渡るとぼやけていた視野が明確になり、頭が働き出す感覚を僕は感じました。
考えたら、当たり前に輸血を受けましたがこの血液は献血をしていただいている方々がいるからこそ、享受でき命を救われました。当時はもちろん今でも感謝の念に耐えません。
いざ、大腸全摘出手術
もう立つこともできず車椅子で手術室へ向かいました。途中、1ヶ月間看病をしていただいた看護師さんがわざわざ走って来てくれて応援の言葉をかけてくれました。勇気と覚悟をもち向かいました。
手術室はさらに丁寧に緊張を和らげる声掛けをしていただき、想像以上に不安は感じませんでした。全身麻酔のための硬膜外麻酔を背中から入れ、マスクをし意識は遠のきました。
覚醒後からまた地獄
目が覚めると母と妻の顔がありました。無事に終わったと涙が頬を伝う感覚がありました。ほっとしたのかまた意識は遠のきました。
次に目が覚めると複数の異常を感じました。
1つは手術時から履いている医療用ストッキング。サイズが合っていなかったのか足の指が痛かったです。
2つ目は尿道カテーテルがついているのに気づき初めてだったので動かすのが恐かったです。
そして、3つ目が発熱による息苦しさです。術後のため40度以上の発熱がありしんどい状況でした。
地獄なのは翌朝からです。まず傷跡が痛み背中にさしている硬膜外麻酔だけでは効き切らず、翌日から早くもリハビリが始まります。体を少し起こしただけで激しい立ち眩みと最も困ったのが“右肩の激痛”でした。右肩の激痛は叫ぶレベルで痛いです。お腹を切ったり刺したりしたのになぜ右肩も痛むのか?詳しくわからないですが、当時看護師さんによると手術でお腹を膨らませるために二酸化炭素を使用するのでその影響か麻酔で意識がなくても緊張状態ですさまじい力が右肩にかかっていたせいなのかもしれないと言われました。リハビリは体を起こすだけで精一杯です。
ここから退院するためのリハビリを目的とした入院生活が始まります。
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