『クリストファー・アレグザンダーの思考の軌跡』(彰国社)を一読していろいろスッキリした話
デザインに関する思考
先日書いたこちらのnoteでも言及したのですが、
その中で、私は「デザイン」を
・感情が想起されるかどうかは関係なく
・行動を起こさせる方向に作用する
ものと分類しました。
この分類では「行動を起こさせる」ものなので
「行動を正しく起こせたか?」を軸に評価ができると考えました。
そうであるとするならば、行動を起こさせることは、人間工学や認知工学により科学的に分解可能であると考えた次第です。
たとえば、こういうことも科学的に説明ができるようですね。
言い換えると、
・デザインは理論が10割であり、
・自然界で未発見の理論が、直感という言葉に置き換えられているだけ
・生物の連綿と続く歴史のなかで「論理」と「法則」でベストプラクティスが決まってしまっている
・ビジュアルデザイン・スタイリングなどはその追体験にすぎない
・いわば、デザインとは神を追体験することなのかも?
ということです。
それを 弊社の @akiramotomura とSlackで雑談していたところ、「クリストファー・アレグザンダーの思索とほぼ同じですね」というコメントをもらったので、書籍を読んでみました。
クリストファー・アレグザンダーについて
クリストファー・アレグザンダー(Christopher Alexander、1936年10月4日 - )はウィーン出身の都市計画家・建築家。ケンブリッジ大学で数学を学んだ後、アメリカに渡り、ハーヴァード大学大学院で建築学を学び、カリフォルニア大学バークレー校で教授。
主な著書には
『形の合成に関するノート』(1964年)
『都市はツリーではない』(1965年)
『パタン・ランゲージ』(1977年)
があり、
主に数学的なロジックをデザイン方法論に持ち込み、それを実際の建築に適用して、改善を繰り返しながら進化させています。
その彼の活動の過程が、今回読んだ『クリストファー・アレグザンダーの思考の軌跡』にかかれています。
内容はデザインするとはどういうことか?から始まり、それを追求したモダニズムによる合理主義へのカウンターから、デザインとは「形とコンテクストとの間の調和」である意味づけています。
その「調和」は、我々が視覚的に好ましいとする知覚のメカニズム(秩序と呼ばれるもの)によってもたらされるが、そこには「サブ・オブジェクト」と「サブ・シンメトリー」という構造があり、幾何学によって説明ができるとする「秩序の本質」に到達し、その本質を「神」と呼んでいました。
・・・私の妄想と同じく、神が出てきました。
その経緯を順を追ってみてみます。
デザインには誰もが受け入れられる客観的な基準がある
アレグザンダーは自身を科学者であると考え、科学者としてデザインへのアプローチを「デザインについて最も確実であり、誰もが受け入れられることを見つけ出すこと」からはじめました。
すべてのデザインに共通する最も確実なこととは。
デザインの究極的な目標は形だ
ーp.16
と表現しました。
形には「外形」だけでなく「構造」や「仕組み」も含みます。
そしてデザインの要素を 形 と コンテクスト に分解します。
すべてのデザインの問題は、次の二つの実在の間に適合性をもたらそうとする努力から始まる。その二つの実在とは、求める形とそのコンテクストである。
ー19ページ
そして形とコンテクストの間にはこのような関係性があるという考えに到達します。
コンテクストとは、求める形に対して要求条件を提示してくるものであり、その要求という力に形を適合させようとする努力のことを私たちはデザインと呼んでいる
ーp.20
そうであるならば、
形はその問題の解であり、コンテクストとはその解くべき解を規定しているもの
ーp.21
と定義できます。
このようにしてデザインという問題が定義できたので、次にその解き方を考える試みが始まります。
デザインの解き方
我々のデザインに対するアプローチは、子供の知的発達の段階と同じであると見抜きます。
デザインの三つの段階
最初の段階 現実世界の段階
コンテクストが提示してくる要求に適合する形を、現実の世界の中で作りながら求めていくというプロセスが実現するのはデザインするものと作り出すものが一致し、そして、その適合性を図るコンテクストか身近にある場合に限られる
2番目の段階 イメージの段階
現実世界におけるコンテクストと形は何らかのイメージによって代用する
3番目の段階 形式的操作の段階
イメージ上のコンテクストに適合するイメージ上の形を求める
ーP.21〜23
子供の知的発達の段階
表象作用の3段階
第一段階 動作的表象の段階
第2段階 映像的表象の段階
第3段階 象徴的表象の段階
『心理学者ジェロームブルーナーによる子どもの知的発達に関する理論』
ーP.28
モダニズムへの考察
『形は機能に従う』ルイスサリヴァン,1896年
と有名な言葉があります。 1930年代を中心としたモダニズムの動きです。
それに対しアレグザンダーは1960年に
「革命は20年前に終わってしまった」
とし、すでにモダンであることはモダンではなくなっているにも関わらず、その呪縛を超えられていないことを示唆しました。(モダニズムは21世紀になった今でも、メインストリームにあります)
それに対して凌駕しようと試みます。
機能は形に先立つ何かだということであり、機能は形とは独立して存在するということである。なぜなら、機能が形とは独立に形に依存せずに前もって存在していないと。その機能に従う形をデザイナー見つけられないからである。
ーp.36
「機能」といった場合に、2つの意味合いがあると指摘します。
目的意図を表したもの
扇風機はその前にいる人を涼しくする
実際の動作に関するもの
扇風機は羽を回転させて一定の風速の空気の流れを発生させる
前者は実際の形が成立する前に示される目標であり、
後者は実際の形に基づく動作であり、後者を追求したものがモダニズムです。
ここにデザイナーと自然科学者の立場の違いが明らかになります。
形は「目的意図」に従う とは解釈できますが
形は「実際の動作」に従う とは解釈できないからです。
動作する形が決まっているのならば、デザイナーの仕事は終わっています。
デザイナーは形をつくりだす行為者であり、科学者のように観察者の位置に立ち続けることはできない
ーP.37
結局、モダニズムのデザインを特徴づけると思われた「機能」という考えは、時と場合によって都合よく解釈され得るものということでした。
そして科学者としてのアレグザンダーはモダニズムの真髄を、システマティックな世界理解と、その理解の総和として世界を捉えることと見抜きます。
理解のためのデカルトを取り上げ、分解と再構成が方法論であると説きます。
分析;複雑な問題をより単純な要素に分解する
枚挙①;問題を十分に明白になるまで分解したか見落としがないか点検する
総合;単純で明白なものとなった問題を解きそれを問題の過程を逆にたどって再構成する
枚挙②;最初の問題に立ち戻り再構成されたものが分解したものを全て含んでいるか最初に与えられた問題に対応しているかを点検する
このアプローチは、今日でも我々の使うデザインプロセスのダブルダイヤモンドとして知られるものや、デザイン思考の5つのモード、人間中心設計におけるプロセスとまったく同じものである、と思いました。
『サービスデザインの教科書 』(武山政直)より引用
そして、構成要素を分解した結果、デザインを「形とコンテクストとの間の調和」である意味づけています。その調和は我々の認識のスタイルに引きずられると述べています。
知覚と寸法体系
形の要素が分解されてコンテクストも把握された先にある、調和した「良い形」とはなんなのでしょうか。人間の知覚と、寸法体系から考察しています。
古代ギリシャ時代から、プロポーションと美しさの間にはなんらかの関係があると考えられてきました。
プロポーションとは、簡単に言えば二つかそれ以上のものの間にある長さの比のことであり寸法体系(モジュール)とはこの長さの比に基づいた数の体系である。
ーp.74
プロポーションや寸法体系と美しさでよく知られているものは、
黄金比や、古代建築のオーダーグリッドシステムや、エンタシスと呼ばれるものがあります。
我々の脳は秩序ある形を好む
ーP.83
美しさは秩序なのでしょうか。
本当に秩序正しいものをそうでないものと比べて見ていて心地よいのだろうかもしそうだとすればこれを正当化できるような知覚のメカニズムはあるのだろうか別の言い方をすれば秩序正しいものには視覚的に好ましいと私たちに感じさせるような何かがあるのだろうか?
『知覚と寸法体系』,1959
美しいと感じる条件に対するアレグザンダーの答えは、「加法について閉じている」ことでした。
集合 S が、ある演算について「閉じている」とは、
S の元をどれでも取ってきて、その演算を施すと、
値は S の元である ということ
その集合のいかなる2つの要素を選んで足し合わせても、結果はまたその集合の中に含まれることになるということです。
このように認知研究のアプローチから「美とはなにか?」を研究したアレグザンダーは、モダニズムにより追求された美の結果がツリー構造をなし、それが自然環境とは相容れないことを発見します。
モダニズムを特徴づける分析と総合によって形作られた人工物が必然的にツリー構造をなすこと、及びそのツリー構造は時間をかけて徐々に形成されたような環境の構造とは相容れないことに気づいたアレグザンダーはツリー構造に変わる環境の構造の作り方すなわちデザインプロセスの探求へと向かった。
認知科学的研究からツリー構造に変わる構造は何らかの意味で秩序立っており。その実情がもたらす質は言葉では表現できない種類のものだとわかった。さらに「サブ・シンメトリー」では、それが何らかの仕方で重なり合っている部分が全体としてかたち作る構造であることがわかってきた。
ーP.100
ニーズの認識
このような構造をどのようにデザインしていくか、そのプロセスを「デザインプログラム」と呼び、アレグザンダーは以下のように定義しました。
1.デザインの最小単位(アトム)は、関係である
2.「関係」とは、建物がうまく機能するために望まれる、ものの幾何学的な関係である
3.この関係は「ニーズ」から導かれる
4.「ニーズ」という考えは、新たに定義し直さなければならない
5.その定義は、「ニーズとは、人の持つ傾向」である
6.デザインとは、この傾向の中にある対立(コンフリクト)を解消するような幾何学的関係を見出すことである。
ニーズに対しては、「そもそもニーズとはなんだろうか?」という問いから始まっています。「ニーズはあるのだろうか?」
デザインプロセスのスタート地点にあるそして色々と試行錯誤した挙句なんとかデザインの成果を作り上げたら最後にスタート地点に立ち戻りそこにあったニーズを作り上げた成果を突き合わせてその成果が求められていたものとか家してるか確か確かめるつまりニーズがないとデザインを始まらず水がないとデザインは終わらないしかしニーズを捉えることは難しい
ーP.101
実際に物を見せてあげるまで本当のところ何が欲しいのか消費者自身にも分からないことが多い
ーP.102
デザインが必要とされるのはコンフリクトが生じておりそれをユーザー単独では解消できないような時
ーP.106
これらに基づいて『パターン・ランゲージ』が形成されます。
パターン・ランゲージ
パターンランゲージというデザイン言語は、モダニズムの建築家たちがあやふやまなままにして便利に使っていた機能についての考え方を、科学者の使う客観的で一般的なものーものや人の動作の傾向すなわちパターンーに置き換え、そのパターンを組み合わせることでドアの詳細から都市スケールの幾何学的関係までを求めることを意図した体系だった。
ーp.113
ここまでの考察で生み出されたパターン・ランゲージですが、広まるにつれ、問題が生じます。それは、パターン・ランゲージの問題というよりは、「手段の目的化」や「フレームワークの乱用」、「理論を理解しないでただツールを使う」といった、現代のデザインプロセスでも問題視されるような運用に課題があるのだと思います。
パターンランゲージが抱えている問題はそれが生み出す建物の形かっこキかかかかっことじるの問題と良い形を生成するパターンとそうでないものを判定するための共有可能かつ客観的な価値基準の問題つまり形とか家の問題に集約される
ーp.126
デザインとは、美しいとは
以下の箇所に共感しました。
私たちは普通、形と価値はそもそも別のものだと考えている。形自体には良いも悪いもなく、そこにコンテクストが与えられ、そこにあるニーズに合致していることが確認されて初めて、それが良い形となると考える。
ーp.128
形はそれ自体に備わっている性質によって価値が定まるのではなく、それに何らかの意味が付与され、それが妥当なものであるかどうかによって、その良し悪しが評価される
ーp.132
なぜ形や構造自体の価値は問われないのだろうか。それは私たちの世界観、宇宙観が形と価値と別々のものとして捉えるようにできているからだ
ーp.133
まとめ
50年以上まえに、科学的アプローチでデザインを分解したクリストファー・アレグザンダー。その思考の道筋をたどるこの本は、私のバイブルとなりそうです。
私の妄想と一致すると思った、感激したポイント
・自然界で未発見の理論が、美しさという直感に置き換えられている
・美しさは科学的に分解できる。
・生物の連綿と続く歴史のなかで、その直感に作用するものは「論理」と「法則」でベストプラクティスが決まっている
・ビジュアルデザイン・スタイリングなどは、その追体験
クリストファー・アレグザンダーについて書かれているこちらのnoteを参照しました。
この記事が参加している募集
よろしければサポートお願いします!