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【ネタバレあり】黒沢清、濱口竜介絶賛の『彼女のいない部屋』がとてつもなく素晴らしかった

どうもグッドウォッチメンズの大ちゃんです。

本ブログでは新作、旧作に限らず感銘を受けた作品を紹介するスタンスでこれから発信していこうと考えています。


Youtubeだとどうしてもリアルタイム性がもろに再生数に影響してしまうので、ミニシアター系の映画が数ヶ月遅れの公開となる地方在住の我々にはかなり痛い...。


ということで、そんなアルゴリズムには縛られまい!と立ち上げた次第でございます。


そんな中初めて本ブログで紹介する映画はこちら。


『彼女のいない部屋』


概要

日本公開2022年8月26日

監督 マチュー・アマルリック

主演 ヴィッキー・クリープス

製作国 フランス

公式サイト https://moviola.jp/kanojo/


≪ あらすじ ≫

ー家出をした女性の物語、のようだ


本映画は黒沢清や濱口竜介が監督を務めるマチュー・アマルリックと対談を行ったことでも話題になっております。

本ブログのタイトルにも入れてある『ハッピーアワー』は映画ファンならご存知なはず濱口竜介監督の出世作。

これからお察しの通り管理人はこの1年半濱口竜介のことを考えなかった日はないというくらい敬愛しているのです。

そんな濱口竜介が「今年ベスト映画」と絶賛していると知ると見ないわけにはいかないこの『彼女のいない部屋』。

あらすじの素っ気なさ含めて好奇心がパンパンに膨れ上がった状態で先週うちの地元でもようやく公開され2回鑑賞してきました。


まず私の感想から申し上げると....



期待に違わぬ大傑作だと思います!!!


アマルリック監督は今作で彼女に起きたことは未鑑賞の人に言わないでくださいとお願いがあった作品なのでここから先の内容は絶対に本編鑑賞後にご覧ください!

(今振り返るとこのあらすじも絶妙な塩梅だ...)


紹介している動画はこちら。

【2022年映画ランキング】いよいよ結果発表!今年の映画10選をご紹介!


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ネタバレ注意

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予告や宣伝ではマチュー・アマルリック監督の最高傑作と呼び声が高く、私も本作鑑賞後近作2作を鑑賞(『バルバラ セーヌの黒いバラ』、『さすらいの女神(ディーバ)たち』)してどちらも素晴らしい作品でしたがその触れ込みは間違いないでしょう。


俳優の演技、編集、音楽使い、演出、撮影、ストーリーテリング全てが高次元に融合したとてもハイレベルな映画らしい映画です。

映画は総合芸術とも言われますがまさしくあらゆる面で計算が行き届いており、五感で体感するような映画体験。

1度目の鑑賞は時間軸や世界線が曖昧なストーリーに必死についていくという面白さを体感し、2度目は全ての仕掛けを把握した上でしたが、それらが見事に人間ドラマを表出させていたことに気付かされ感動のあまり久しぶりに映画を観て結構な量の涙が溢れてきました。

本当に素晴らしい作品です。


感情に身を任せた感想は一旦このあたりにして僕なりにとマチュー・アマルリック監督の作家性と本作の魅力について書いてみようかと。


マチュー・アマルリック監督の話をするにあたって欠かせない映画監督が2人いると思います。

その1人が何を隠そう濱口竜介で、もう1人が2人が共通して影響を受けているジョン・カサヴェテスです。


濱口竜介との共通点は特に『ドライブ・マイ・カー』と『彼女のいない部屋』でかなり色濃く感じられます。

表面的ではありますが、喪失と再生の物語であることと、赤い車が頻繁に登場すること(笑)。

不在のモチーフを通して映画の中でもさらに物語が紡がれる構造はかなり近しいものがあります。

物語や表現というものに可能性を見出しそれを発露していくことでなんとか再生に向かっていけるのではないかという両作の着地は共通するところなのかなと。


ジョン・カサヴェテスは濱口竜介が頻繁に影響を公言していますが、ジョン・カサヴェテスもマチュー・アマルリックも俳優出身だということは見逃せないポイントではないでしょうか。

『バルバラ セーヌの黒いバラ』は『オープニング・ナイト』、『さすらいの女神(ディーバ)たち』は『チャイニーズ・ブッキーを殺した男』をそれぞれ物語の構成や登場人物の設定をかなりの部分引用しています。

2人とも自身は俳優ということもあり、役者のポテンシャルを発揮させるのが抜群に上手い。

役者をしっかり見える位置にカメラを置くところも共通しているような気もしますね。

手持ちカメラのアングルは特にカサヴェテスの影響を感じさせます。


1本の映画を鑑賞するために予習・復習の負担を強いることは極力したくないですが、濱口竜介とジョン・カサヴェテスの作品を鑑賞しておくとそれぞれの作品の魅力の再発見に繋がるかもしれません。


さて、ここまでかなり長めの前置きをつらつらと書きましたが、『彼女のいない部屋』の魅力という本題にようやく入ります。


あらすじからして勘のいい方はこの映画は何かしらの仕掛けがあるのではと構えて観る方が多いと思います。

ほとんど結論に近いところから描き始めると、

本作の主人公クラリスは家出をしたのではなく、


“雪山の事故で家族を亡くしてしまった喪失を埋めるために妄想の物語を紡ぎ、家族と繋がっていた”

というところでしょうか。


いわゆるネタバレ厳禁どんでん返し系の作品で、全てを知ってから鑑賞すると面白くないのでは思われそうですが、2回目の鑑賞時にやや複雑すぎるのではと感じた時系列や構成が緻密に計算され尽くし意外にもシンプルに構成されていることに驚かされます。

とにかく編集が心地よい。

ピアノの伴奏や扉の出入りなど、ここしかないというタイミングでカットが切り替わり“クラリスが実存する世界”と“クラリスが不在のあり得た世界線”が交差していきます。

よくよく見るとクラリスのアクションがきっかけに別の時系列に切り替わり、断片的に別のシーンの音が流れていること、オープニングで映されるポラロイド写真などなどを手がかりにすると、クラリスは過去の家族との思い出を頼りに想像の物語を膨らませていると考えられます。


終盤にその物語内世界が崩壊し、クラリスの実存する世界にも影響を及ぼしていくというシークエンスがあります。

ここは一見、淡々と進行していた映画のトーンを盛り上げるために用意された展開にも見えかねませんが、ここで「過去の記憶」が鍵になると思います。

「過去の記憶」を頼りに不在の家族との物語を紡いでいたクラリスでしたが、あるとき物語内の娘から「もっと別の物語を考えて」と語りかけられます。


それからのクラリスは、娘や息子とよく似た雰囲気の子供や夫のマルクと似たある体の部位をヒントにさらにその先の物語を紡いでいこうとするのです。

これは具体的に映画内で言及されませんが、クラリスが物語を想像(創造)する上で重大なルール違反だったのではないかと私は解釈しました。

特段謳われているわけではありませんが、この作品の大きなテーマとして喪失との向き合い方があると思います。

クラリスは向き合うべき家族との過去の記憶を頼りに自分なりに喪失を埋め合わせていたのではないでしょうか。

それを現実の世界の全くの他者を頼りにしたことで自分の中の何かが崩壊し、物語の世界も崩れてしまったのではないかと私は考えました。


実は映画冒頭からこの作品の方向性はある程度示されています。

ポラロイド写真を何度もひっくり返しながら、「やり直す」と呟き続けるクラリス。

その次に映るカットが、メリーゴーランド。

円環構造という言葉もある通り、映画の中で回り続けるものは何らかの象徴として扱われることが多いです。

これはクラリスが喪失と上手く向き合うために、

「過去の記憶」を頼りに想像の世界の中で何度でもやり直し続けることを肯定する作品だったのではないでしょうか。

こうした喪失をテーマにした作品はよく、主人公んに対して別のキャラクターがやや説教じみた言葉を放つことがありますが、本作ではそれはありません。

ある一部の人物以外はクラリスの行動を否定する人物は存在しないのです。

耐えがたい喪失を経験してしまったクラリスがラストシーンでもう一度、同じ構図でポラロイド写真を眺めているシーンで作品の真意に気付けた気がして久しぶりに映画を見て涙が止まらなくなってしまいました。


この作品の中ではクラリスによる想像上の物語として“虚構”が描かれますが、描かれていることに嘘はないと思います。

その証拠に、クラリスが実存する世界にも、想像上の物語にも家族が4人揃うシーンはほとんどありません。

想像上の物語ならクラリスにとって都合よく家族全員揃って楽しく過ごすという物語でもいいはずです。

それでも、彼女はそれができないくらい深く傷付いている。

決してこの方法が全ての人に通用する弔いではないと思いますが、クラリスにとっては最善だったのではないでしょうか。

物語を何度も紡ぎそれをやり直すことで全てを解決したわけではありませんが、ラストの車を運転するシーンを見ると少し彼女の中で何かが前進したのだろうと思わされます。


撮影、編集、演技、演出、音楽が全て高次元に機能しエモーショナルを誘発させる素晴らしい映画的な語り口。

あまり言及できていませんが、喜怒哀楽を1人の人間から自然に湧き出たものとして表現したヴィッキー・クリープスの演技は賞賛に値します。

飽くまで個人的な印象ですが、ヴィッキー・クリープスの容姿は「大人しそう」とか「やんちゃそう」などという一面的な印象を抱きにくいような気がしています。

圧倒的なパブリックイメージを敢えて利用していくタイプの役者もいますが、物語の住人としてその世界に存在することを考えるとこれ以上ない才能なのではないでしょうか。

それでいてどこか観客を惹きつけるオーラもある。まるで役者になるために生まれてきたような存在です。

似たようなタイプだと、韓国のチョン・ドヨン。日本では岸井ゆきのが近いのかなと。

ともあれ、作品選びと演技のスキルがとても長けている役者なのでこれからもっと多くの作品で名演を目にすることがありそうです。


しかし改めて、物語というひとつの表現の可能性を信じる『彼女のいない部屋』とマチュー・アマルリックに心底惹かれてしまいました。

これから彼が新作を発表する度に映画館へ足を運ぶことでしょう。

多少見る人を選ぶ作品かもしれませんが、今年ベスト級と言っていい本当に素晴らしい作品です。

少しでも多くの人にこの作品が届くようにと願いを込めて今回の記事を締め括らせていただきます。






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