追悼:小澤征爾さんの第九に涙した
以前の記事にも書きましたが、私は普段、自分がクラシック音楽を聴くことを他人には話しません。自身の感性をあまり他人に話しませんし、他人に共感を求めることもありません。
そんな内向型の私から見て、今年2月に亡くなられた小澤征爾さんはあまりにも輝かしい存在でした。高校生の時、彼の著書「ボクの音楽武者修行」を読んで、自身の人生を切り拓いてゆくアグレッシブな生き方に圧倒されました。
また小澤さんには、音楽的な才能だけでなく、周囲の人々を巻き込む求心力があります。一流オーケストラだけでなく、ロストロポーヴィチやアルゲリッチなどの名演奏家たちまで魅了する音楽性と人間性がありました。
私とは正反対の外向型の方です。
内心では小澤征爾さんに敬意を感じていたものの、その人間力の偉大さから、心理的に距離をおいていたかもしれません。あまりにも眩しい存在で、真正面から向き合うことができなかったのです。
2024年12月31日。AppleMusicに入会したので、彼が2002年に松本でサイトウ・キネン・オーケストラを振ったベートーヴェンの交響曲第九番を聴いてみました。
聴き終えて一言。
この演奏、途轍もない演奏です。
ここまで指揮者と奏者が一体になった演奏も珍しいでしょう。第一楽章。冒頭は極めて精緻な音楽ですが、次第にテンションが高くなります。再現部のトゥッティでグッと胸を掴まれました。第二楽章の集中力もすごい。弦セクションが強靭で、音が太いのに滑らかです。第三楽章のテンポは速め。音楽が健康的で、実にのびのびとしています。フルトヴェングラー的な深淵さは皆無ですが、ここでも弦楽器の図太い音はポジティブで説得力があり、聴き手の気持ちを掴んだまま離しません。ここまで一貫して強靭で主張の強い音楽が、そのまま第四楽章でも引き継がれます。つまり、第四楽章だけ「別物」にならないのです。第三楽章の音楽作りの意図がここでわかります。冒頭からテンションが高い。音楽が澱むことなく進みます。強弱のコントラストも見事で、低弦が歓喜の唄のテーマを奏で始める間合いが自然で素晴らしい。全奏者のトゥッティの気合い入りようは滅多に聴けないレベル。その後も集中力が途切れることなく、ハイテンションのまま続きます。東京オペラシンガーズの合唱も素晴らしい。
オーケストラのメンバーはみんな世界中のオーケストラで活躍しているような超一流の方々。普段は高名な先生の皆さんが、小澤征爾と一緒に実力を出し惜しみせず、夢中になって一糸乱れぬ音楽をやっています。
小澤征爾氏の演奏について、解釈うんぬんを論じるのは的外れだと思います。また、ベートーヴェンの楽曲は過去に星の数ほど名演奏がありますが、それらと比較するのも全く無意味です。
私は、この第九を聴いて感じたことは、「小澤征爾と同じ時間を共有することに大きな価値がある」ということです。
私は40年以上クラシック音楽に親しんできたにもかかわらず、小澤征爾さんの生演奏に一度も接する機会を作ろうとしなかったことを、心底悔やんでいます。