
逃げる、隠れる、距離を置く
若い頃の自分は、周囲の敵と戦った。腕っぷしに自信があるわけでないのに、木っ端みじんに砕け散ることを承知で、突っ込んでいったこともあった。
これは、比喩的表現ではない。
まだギリギリ30代だったある日、飲んだ席で、仕事の事で同僚と口論になり、店の外で小競り合いに発展したことがある。酔っ払いながら深夜に帰宅し、上着を脱いだら、ワイシャツが破れ、脇腹に血がべっとりとついていた。身体のところどころにすり傷があった。
こんな生々しい傷跡に対する免疫の無い妻は泣き出した。夫として、とても悪いことをしたと思う。
その時の自分を突き動かしたのは、「プライド」だったのだろうか。「他人の目」だったのだろうか。いや、「自信の無さの裏返し」かもしれない。還暦前になると、それさえも忘れかけている。
今の自分は、他人からの攻撃や心無い中傷を受けても、真っ向から立ち向かわない。知らぬ顔をして、そっと身を隠す。うつ病寛解過程の我が身の限られたエネルギーを、無益な戦いに消費するのが勿体ないと思うのだ。
「若い頃はよかった」と言う人がいるが、自分は、今の方が心地よい。もはや、他人の評価など、どうでもいいし、陰口をたたかれても構わない。「言いたい奴には言わせておけばいい」と思う。
今日も無事に家に帰り、家族とゆっくりと語らったり、上質な音楽に浸ったりしながら、ほんの束の間だけど、至高の人生を味わう。多くの友も理解者も要らない。酒も飲まない。こうしたものは、自分を混乱させる。
もはや、何者にならなくてもいいし、なりたくもない。
誰かに望まれれば、その人に寄り添い、話を聞いたり、相談に乗ることも厭わない。
こんな自分で良ければ。