好奇心を刺激する ~良書は出尽くした?自分が求めているタイミングではないだけ?自分の読み方が浅いだけ?~
20代のころは会社員としてスタートし、自分が就職した業界やビジネス自分の知らない世界を体系的に開いてくれる本への投資は惜しまず、欲しい本がたくさんありAmazonでポチポチ。
それらのインプットが、今の自分の仕事を支えてくれているのだと思う。
でも、いつの間にか、書店で並ぶ本がハウツー本や知識をキュレーションし直したただけの本ばかりに思えて、また、仕事中心の生活で仕事に役に立つかという視点でいた自分はますます、本屋にいくことが少なくなっていた。
本を読まなくなって数年が経ったが、最近また本を読む習慣が戻りつつある。読む本がビジネス分野でなくなった違いはあるけれど。
ただ、この数週間、図書館で借りる本を途中まで読んで返却することが何度か連続で続いている。
有名な学者が書く本でさえ、「本質」を難しく言っているだけのことが多いと感じ、興味をもって読み進めることができなかった。直近で「途中まで読んで返却した」本について、自分の本の読み方、モノのとらえかたが浅いという指摘が怖いと思いつつも、あえて書いてみようと思う。「無知の知」は自戒として心に留めながら。
何故、ピサロがアタワルパを捕え、スペイン王国がインカ帝国を征服できたのか
この本のタイトルが「銃・病原菌・鉄」となっているが、その1つである病原菌についての記述が登場。どのような世界的な出来事も偶然起きた病原菌が大きな原因の1つ。下巻は読んでいないが、その内容は予想できそうな気がする。
・・確かに2020年でもコロナが流行して世の中が大きく変わったが、流行前に読む人が読んでいたら、違う受け取め方があった?
世界的ベストセラーということなのでもう少し辛抱強く読んでみる。
何故シマウマは家畜にならなかったのか
その他引用は省略するが、「もっともらしく」羊とシカ、レイヨウ、ビッグホーンの違いの事例を出しながら「アンナカレーニナの法則」という独自の視点があるように説明しているが、動物によって性格や習性の違いがあり、ネコと犬の性格が違うのは小学生でも知っている事実で、種の違いがあるという当たり前のことを書いているだけとしか受け取れない。
生物学者や歴史学者など、動物や歴史が純粋に好きな人たちは、それらの事実/知識に対する純粋な好奇心で読めるのかもしれないが、この本を読むことでそれぞれの細かな歴史的な事実、生物学的な事実という「知識」に触れることはできたが、新しい視点や考え方にふれることができなかった。
多くのパワーポイントの資料や飛び交うビジネスメールからその結論を素早く読み取る能力が進化した結果なのだろうか。そしてこれがいいのか、悪いのか今のところ判断がつかない。
他者を感動させること、他者に影響を与えること、他者に変化を与えること、他者を救うこと、には何が必要なのだろうか。
社会人入学した大学院で誰かが言っていた。「多くの研究は重箱の隅を楊枝でほじくるような内容のもの」。これに怒る学者や研究者もいると思うが、当時の僕も同じことを感じたし、ストレスを感じていた。そのため、博士課程には進まなかった、進めなかった。
人には誰しも新しいことを知りたいという好奇心があり、「読めない」「研究できない」自分にもその好奇心はあると思うけれど、本来もっている自然な好奇心をいっぱいに開いて「学び」の楽しさを提供するような場を創れたら面白いよね。