ブルーハーツとともに生きていく(ライブ前とライブ後の自分)
生まれて初めての弾き語りライブが終わって1週間が経つ。出張もあったことを言い訳にしながら、何故か今の気持ちをそのまま発信することができない自分。ライブで歌った曲を部屋で口ずさんでみると、なんだか少し寂しい気持ちに包まれる。一緒に歌ったメンバーとの振り返りも経て、ようやく、少しずつ整理ができてきた。
ライブ当日の朝
いつもの起床時間の6時よりもずっと早く目が覚め、時間ができたので朝から近くを散歩したら心身ともに整ってくる。朝ご飯を食べて、いつもは着ないこの日のために準備した柄シャツに袖を通して、リモートワークで伸びていた髭をそのままに鏡に向かってみる・・。妻に意見を聞いてみるとやはりNG。いつもの自分をそのまま出すことを考えてみると着替えるほうがいい気もしたけれど、柄シャツを着ようと決めた時の気持ちを優先することに。
最後の練習ということでその衣装で少し歌ってみる。いい感じ♪
iphoneを忘れて、落ち着かないまま新幹線のなかで音楽無しの時間を過ごし、会場にも早く到着。知っているメンバーの一人と運よく先に合流できて緊張もほぐれたと思いきや、すぐに「リアルはじめまして」のメンバーが続々と合流。テスト直前までの詰め込み暗記のように、少しでも自分に集中したい時間だけれど、メンバーとのコミュニケーションにも気を遣いながら、緊張が高まる・・。みんながリハーサルをしている間も控室で独りで少し練習。
リハーサルでもうまくいかないまま時間が過ぎ開場。来てくれた友人との何気ない会話や声をかけてくれるメンバーとの会話を通してますます高まる緊張をなんとかほぐそうとする。
ライブ後の瞬間
あれだけ練習した1曲目の「Good riddance」もギターの音がしっかり出ず、練習中に自然と涙がこぼれるくらい想いを込めた2曲目の「ええねん」も途中で歌詞を間違える。でもなぜか、最後まで自分の声を出せた感覚はあった。もっと「上手く」歌えた気もするけれど、「本番慣れ」も含めて自分が歌えるレベルは出し切れた。聴きにきてくれたオーディエンスに向かって歌を通して伝えたい気持ち。その気持ちのほんの少しをあの空間に放出できた感覚。
歌い終わった瞬間のハイタッチ。
ギターや歌詞を少し間違えてしまったな、、という気持ちからか、仲間の気持ちを「嬉しみ」ながらも、戸惑いながらハイタッチに応える。
「放ち切った自分の想い、、でもあれってみんなに届いているの・・?あれでよかったの?」
充実感と不安が混ざり合う気持ちを抱きながら、仲間の歌を独りで聴く。それぞれがいい表情をしながら、自分と向き合いながら「自分」を表現している。やっぱり上手。あんな風に僕も歌えていたのだろうか・・。もっとGood riddanceの曲がもっているギターの伸びやかな音を表現したかったにもかかわらず、そんなレベルの話ではなく弦もしっかり押さえられなかった。もっと「ええねん」の歌詞にこめられたエネルギー感を表現したかったけれど、その歌詞を間違えた。
複雑な気持ちとともにカーテンコールの時間。つないだ仲間たちの手から伝わってくるパワーを感じながらライブ終了。
ライブ終了後
ライブを一緒にやったメンバーたちはそれぞれの手応えを喜んでいるが、僕はなぜかそんな気分に浸ることができず、友人を見送り独りでギターを片づけているところに、見知らぬオーディエンスからふいに声をかけられる。
「今日の歌に勇気をもらった、自分も何かやってみようと思った。このことを直接声をかけてどうしても伝えたかった」
人にインパクトを与えること、励ますこと、勇気を渡すこと、自分を表現すること、このライブに向けて自分が自分に求めていたこと、約束したこと、決めていたことだった。決めてみたものの直前まで不安で、友人を誘うこともできなかったけれど、少しだけ世界に伝わっていた。世界を応援したいと思っていたけれど、世界からかけられた言葉に逆に応援され、胸が熱くなる。でもすぐに、まだ自分はこんなものじゃないと、その満足感から意図的に離れようとする自分がいる。
打ち上げと振り返りの日々
なんだかんだと知り合ってまだ2ヵ月ちょっとのメンバー。リアルで会うのは初めての人がほとんどで、自己紹介も改めて交わすという不思議な空間。充実感と居心地の悪さの両方を感じながら乾杯をして、カプセルホテルに転がり込む。打ち上げ終了後にSlackで飛び交う充実感あふれたメッセージのやり取りを出張の移動中に携帯で横目で見ながら、2週連続の上京。
妹からの「お兄ちゃん、仲間もたくさんいてリア充。心が元気だと体も元気になるよ」との祝福メッセージにも照れくささと少しの違和感を覚える。
どうしてこんなあたたかい場所にこれほど居心地の悪さと温度感の違いを感じるのだろうか。
自分の歌やパフォーマンスに対する悔しい気持ちもあるけれど、思い返すと昔から常に自分は同じところにいた気がする。歌への苦手意識もあり、避けてきた学生時代のカラオケはもちろん、大学入学後の「お友達作り」のサークル探し、飲み会/コンパ。
司法浪人中に参加したサマーキャンプでディレクターをやったり、イベントの幹事をやって「よかった、本当にいい時間だった」と参加者から声をかけてもらう中でも、いつも独りでいた感覚がつきまとう。
いつも大勢の中で自分の個性を追求し、他者の中にどっぷり入っていかない自分。仕事においても常に自分に何かを求め、他者に求める。常に満たされない満足感と時々感じる疲労感と孤独感。
どこからこんな感覚がきているのかライブ終了後もずっと自分でもよくわからかったけれど、思い出した。小学生の時に初めて買ったCDアルバム。ブルーハーツ。純粋に試合に勝ちたいと思ってサッカーボールを追いかけ、チームメイトとぶつかった日々。先生や友達ともぶつかりながら自分らしさを追求していた日々。誤解されがちな態度と言葉だけでは伝わらない「やさしさ」や「頑張れ」のメッセージ。嘘が混じらない純粋でまっすぐな気持ち。
いつかまたライブやるときは思いっきりブルーハーツを歌いたい。曲に負けないように生きているのか、生きていけるのか、そこが自分が向き合うべき次の問い。
髭と柄シャツ、新幹線の終電乗り越しも笑って許し、音楽と向き合う自由な時間をくれた妻。あなたが一番やさしいと思うよ。
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