灯で照らされた自分の影
止揚学園のクリスマス会にご招待いただいた。
クリスチャンにとってのクリスマス会とはどんなものだろうか
いつの間にか準備されたクリスマスの装飾と会場いっぱいに並べられた椅子
来客が多くいつもにぎやかな学園に、職員や仲間のご家族も集まり、なんとなくソワソワした空気と厳かな雰囲気が漂う礼拝会場
特別にお化粧をしてもらった仲間たちがいつものようにリラックスしつつ、いつものようにそのままで会場に座る。
家族に囲まれて幸せそうな席に座る仲間
一人でいることをじっと受け入れる仲間
慌ただしく準備をしながらもさりげなく寄り添う職員
特別な空気の中でよそ行きの服を着る子供たちの声
食事スペースのテーブルには丁寧に手書きで書かれた席次の名前
いつも以上に手が込んだ手作りの料理と特別におかれたジュースやお茶
仲間の一人一人、来客一人一人が紹介され、それぞれに手渡しされるプレゼント
この日のために仲間の皆が一生懸命に練習してきた歌と劇(ミュージカル)
そのストーリーにこめられた彼女との53年間の思い出
これからも学園で一緒に過ごす時間が続いていくことを願う職員の想い
讃美歌が作り出す一体感、人が集まるパワーと祈りのもつエネルギー
会場の電気が消されて、韓国から贈り物というろうそくの灯で会場が包まれ、オルガンの厳かな演奏と子供たちの聖歌の合唱で静かに礼拝が始まった。
司会の方が感謝と世界のどこかで苦しんでいる人たちへの祈りが言葉にされ、聖書が朗読される。
静かな雰囲気の中で改めてその言葉の1つ1つを受け取りながら、自分の1年を振り返り、自分がおかれた恵まれた環境に感謝しつつ、もう1度困っている人や苦しんでいる人へ想いを寄せる。そして、少しギスギスしていた相手にも静かに祈りを届けてみる。
中途半端な自分の弱さと甘さ
仲間の家族の方から、礼拝後の会食時にお話を伺う。
障碍をもつ子と一緒に生きてきて人生でいろいろとあったが、信仰のおかげで前に進んでくることができ、今は安心しているという話。これまでも、自分の宗教上の関わりのなかでも様々な信仰体験、信仰に救われた人のストーリーがあったことを思い出す。
少し前にあることで悩んでいると聞いていた友人からクリスマスのメッセージ、どんな返信をしようか。両親と過ごす年末年始はどんなものにしようか。高齢になった妻の両親と久しぶりに会ってどんな話をしようか。転職した先輩は新しい職場で元気にしているだろうか。
ああ、そういえば、今日の自己紹介も「近所に住んでいて、、」だったけれど止揚学園に対して来年こそは何かできる自分でいられるのかな。社会貢献?地域づくり?教育?
神仏にすがるしかないような状況の人たちの絶望に比べたら、自分が経験した苦労なんてたいしたことはないし、自分の悩みなんかは本当に小さなものでしかない。自分の人生が恵まれていたし、恵まれているとを改めて思う。自分は世界の美しいところを見ようとしているだけで他者の気持ちを受け取り、寄り添うことができていない。
会の最後にステージに並んだ職員の方の姿を見て、人生の深みや品格の違いをあらためて感じる。
クリスマス会も終わり、家に着いたら「おかえりなさい、どうだった?」といつもの妻の声。いつもありがとね、、。
参考:止揚学園 ウェブサイト:http://shiyogakuen.com/posts/post137.html