孤独のままつながる
寂しさと出会う再会
2ヶ月ぶりの上京。学生時代の友人たちと再会し、会社を去る先輩に挨拶をし、職場に顔をだし、以前の職場でお世話になった方との10年ぶりの再会、元職場の後輩の自宅に宿泊しつつ、いろんな人と出会ったはずではあるけれど、より一層の寂しさとともに帰宅。
多くの友人が世界のどこかで元気にしていることをSNSを通じて知っている。生まれ故郷でなくこの地を移住先に決めて引っ越してきた瞬間からわかっていたことだけれど、子供がいない僕は妻と二人だけの家族構成で、仕事もフルリモートをしている環境。人とつながっているようでつながっていないのかもしれない。
学園で出会った再会の瞬間
なんだかモヤモヤしたまま、いつものように週1でお邪魔している止揚学園でのランチタイム。今日は僕と同じように、時々学園に訪問しているご家族も一緒の時間。一人は障害がある方で普段は病院(自宅?)で過ごされているようで、あとの二人はその方のご家族で本日は「外出」のようだ。
幼なじみが止揚学園に入所されているとのことで、食べ終わると嬉しそうにその仲間のもとへ歩み寄り、僕らからはわからない二人だけのコミュニケーション。
「いつもここに来ると本当に嬉しそうな顔をするんです」と、再会の2人を眺めながら話すご家族の目にも涙が浮かび、一緒に喜びの時間を過ごす。
先行で披露いただいたクリスマス会に向けて作ったという歌。
これから四季の移ろいをあと何回、誰と一緒に眺めることができるのか。今回の上京で再会できた人たちと、あと何度会うことができるのだろうか。
着地点ってあるんですか?!
ランチタイムが終わり、食後の片づけをしていると不意にクリスマス会の招待状を手渡していただく。宛名が手書きで丁寧に書かれ、封緘された封筒に包まれた招待状には、結婚式の招待状のように出欠連絡の依頼が記されていた。
「いつもお邪魔しているだけですみません。農家の方がトマトをもってくるように、ミュージシャンが歌を歌うように、美容師さんがヘアカットをするように、僕も自分らしくお返しできるような着地点を探しているところです。福祉関係者の視察から、小学生の体験学習の受け入れまで他にも来訪者の対応がある中で本当に恐縮しています。みなさんの対応の在り方や施設の雰囲気、カルチャーを肌で感じるとやはりそこには信仰や愛、奉仕とは何か、あらためて考えさせられることが多く、テーマが広くなりすぎ、何をどう表現していいのか、、、。勝手に自分でハードルをあげてしまって、こうして季節が変わってしまいました・・。」と、恐縮しながらお礼をいう。
すると施設の方は、「え、、今の活動、関係に着地点なんてあるんですか⁉」と一笑。
帰宅の途の自分の心からは寂しさが少しだけ薄れ、東京にいる友人の命を想像したり、人生の時間をこの地で妻と一緒にどう過ごしていきたいのか、など着地点のないことをモヤモヤと考えながら家に着くと、新聞には谷川俊太郎の逝去のニュース。