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#8_答えを急がない・急がせない学校

「ナスビの学校」は「ネガティブ・ケイパビリティ」を育みます。

「ナスビの学校」で学ぶ子どもたちは,急いで答えを出すことをしません。「答えが出ない状態」に耐えることができるようになります。

「ナスビの学校」にいる教師は,子どもたちに急いで答えを出すことを求めません。教師自身も「答えが出ない状態」に耐えることができます。

「答えが出ない状態に耐えることができる力」のことを「ネガティブ・ケイパビリティ」と呼びます。「ネガティブ」という言葉が入っているため,言葉通り,ネガティブな印象を持たれてしまうかもしれません。しかし,この「ネガティブ・ケイパビリティ」という概念は,教育や学びを考える上で,とても大切な気づきを与えてくれるものです。

日々,新たな出会いを経験します。私たちは初めて出会った人を警戒し,「いったいこの人は,どんな人なのか?」を早急にわかりたがります。そのとき,私たちが採用する戦略は「これまで出会った人になぞらえる」という方法です。「この人は,あのタイプだ」「この人は,あの人に似ている(あの人みたいな人だ)」と,出会った人をカテゴライズします。そうすることで私は安心します。「このタイプの人には,こんな関わり方をすればうまくいく(こんな関わり方をしたらうまくいかない)はずだ」という見込みを持つことができるからです。ただし,この戦略には一長一短があることを踏まえておく必要もあります。自分の経験にもとづいてカテゴライズすることで,目の前にいる人を窮屈に理解してしまうことになるかもしれないからです。「この人は,いったい,何者なんだろう?どういう人なんだろう?ちょっとまだよくわからないから,よくわからないままにしておこう」という戦略を持つことも大事なのかもしれません。そしてこの戦略を支えているのが「ネガティブ・ケイパビリティ」という思想なのです。

教師は子どもたちにいろいろなことを問いかけます。授業での問いかけは「発問」と呼ばれます。教師から問われた子どもたちは,その問いに対して,何らかの「答え」を出そうとします。このとき,子どもたちは「できるだけ速く,そして,できるだけ正確に答えること」が求められているように感じているはずです。考え込んではいけない。間違えてはいけない。そんな規範が教室に漂っているはずです。その規範は教師にも影響を与えます。教師は「考え込む子どもたち」を待つことができないかもしれません。「正解」が出るまで,子どもたちを指名し続けるかもしれません。そして,「教師が望む発言」が出たことをもって,その発言を「答え」として認定するかもしれません。このような規範が教室を支配するようになると,子どもたちはタブレットに手を伸ばし,できるだけ早く,できるだけ正確な答えを検索することが習慣化するかもしれません。それはそれでいいのですが,「考え込むこと」や「わからないことをわからないと表明できること」「わからないことを承認すること」といった規範が教室に漂っていてもいいのではないかなと思います。それによって,もっと考え込むことができたり,考え合うことができたりする可能性も拓けてくるからです。そして,この可能性を支えているのが「ネガティブ・ケイパビリティ」という思想なのです。

最後に,自戒を込めて。

「ネガティブ・ケイパビリティが大事だ」という思想を持つことによって,「なんでもかんでも保留すればよい」と結論づけてしまうことには注意が必要だと思います。その態度はもはや「ネガティブ・ケイパビリティ」とは言えません。

「ネガティブ・ケイパビリティ」は1つの思想です。

思想のマナーとは,「別の思想があることを必ず知っておくこと」です。

竹田青嗣・橋爪大三郎(1994)『自分を活かす思想・社会を生きる思想-思考のルールと作法』径書房,p.60

「ネガティブ・ケイパビリティ」は,「ネガティブ・ケイパビリティとは別の思想」によってはじめて生かされるものなのだろうと思います。

「ナスビの学校」は「ネガティブ・ケイパビリティ」を育みます。

「ナスビの学校」で学ぶ子どもたちは,急いで答えを出すことをしません。「答えが出ない状態」に耐えることができるようになります。

「ナスビの学校」にいる教師は,子どもたちに急いで答えを出すことを求めません。教師自身も「答えが出ない状態」に耐えることができます。

そして,「ナスビの学校」には「ネガティブ・ケイパビリティとは別の思想」も,ちゃんと,流れています。

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