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「目が見える人がよけたらいいんだよ」 あの日教わった大切なこと。

コツン、コツン、コツン、コツン…

タン、タン、タン、タン…

街で時折耳にする白杖の音。この音を聞くたびに、思い出す一言がある。さっき急に思い出したので、今日はその日の話をしたい。半分は本当の話、半分は伝わりやすくするためのフィクション。そんな話。

「あのね、目が見える人がよけたらいいんだよ」

せりちゃん、あの日私に大切なことを教えてくれてありがとう。


あの日、私たちは人混みの中にいた。

私たちの仕事場は、デパートの中にあった。その日も売り場の周りは混雑していて、狭い通路には人が溢れていたのをよく覚えている。夕方の特にお客様が増える時間。いつもの、よくある、夕方。

せりちゃんは少し変わり者だった。新入りのアルバイトで、入りたての社員だった私の後輩。デパートには不釣り合いな隠しきれないヤンキー感と休憩時間のタバコで、初日から雰囲気は充分に伝わってきた。

せりちゃんは時々、デパートでは見かけない行動に出て注意された。

声が大きい、響いてる!とか、離れた売り場の人に向かって手を振っちゃダメ!とか。そんな感じの。売り場の担当さんが頭を悩ませていたのも覚えている。その度せりちゃんは、反省しているのか反省していないのかよく分からない返事をした。

それでも、せりちゃんのお辞儀はいつも綺麗だった。

せりちゃんの芯のある雰囲気が、私は好きだった。黙っとけばいいのにと思ったこともあるけど、自分の意見をハッキリ言うところもよかった。調子のいい日のせりちゃんの接客はお客様を誰よりもハッピーにした。だからなんとなく、みんなも、せりちゃんを受け入れている気がした。

私たちはあの日も一緒に売り場に立っていた。

人混みの中に響いてきた白杖の音

その音に私たちは振り向いた。そのお客様は白杖を右手に持ち、誰がどう見ても困っていた。人がたくさんだし、お店の中はとっても賑やか。向かいたい方向に向かうことができている雰囲気もなかった。「目が見えないって大変なことだ」と素直に思った。

「お声かけしなきゃ」と思った。その先のことは何も浮かんでいない。ただ、何かしなきゃと思う気持ちだけで声をかけたんだった。「ご案内致しましょうか?」

そこからが大変だった。

昔、どこかで教えてもらった案内の仕方を必死で思い出そうとした。声をかけたはいいものの、どうしていいか分からない。義務教育のどこかで教えてもらった記憶はあっても、実際にご案内するのは初めてだった。私は緊張していたし、ぎこちなかったと思う。一生懸命に話を聞いた。

お客様のご希望に沿って、私は右腕を差し出す。お客様の左手がそこに掴まって、右手には白杖。目的地は約50メートル先の出口。人混みの中を私はお客様と歩き出した。

すみません、通ります。恐れ入ります。

目の見えないお客様に代わって、私は出来る限り空いている通路を選び、ご案内した。お客様の白杖が他のお客様にぶつかりそうになるたびに私は謝った。人混みの中に少しずつ少しずつ、道が開いた。

何度も恐れ入りますと言った。何度もすみませんと謝った。その度に道が開いた。まだまだ新入りの私にとって、デパートにお買い物にくるお客様は雲の上の存在だった。決してぶつかってはいけないと心の中で決めていた。

「もう少しです」「あと○歩くらいで左に曲がりますね」「このまましばらく直進です」と、隣にいるお客様に伝えながら、「すみません通ります、お通しください」と周りに向かって謝り続けた。出口がいつもより遠く感じた。

せりちゃんは売り場から、ずっと私を見ていたんだと思う。

売り場に戻った私は達成感の中にいた

頑張った自分を褒めたかった。緊張したし、初めてだけどチャレンジしたし、見て見ぬフリもしなかった。きちんと声をかけて、出口までお客様をお見送りすることができた。その時の私にとって、それは充分すぎる成果だった。自分を褒めたい気持ちでいっぱいだったし、みんなも褒めてくれると思った。

そんな私に、せりちゃんが言った。

「あのね、目が見える人がよけたらいいんだよ」

それは、浮かれている私を突き落とすには充分すぎる一言だった。

浮かれていた自分が恥ずかしかった。自分がしたことが一気にフラッシュバックした。せりちゃんは多くは語らない。でも、一言で私には充分だった。せりちゃんに言われたという事実が、さらに恥ずかしさを加速させた。悔しくて恥ずかしくて、穴があったらすぐに入りたかった。

なんであんなに謝ってしまったんだろう。

歩いているだけなのに、隣を歩く人間が謝り続けていたらどんな気持ちだろう。お客様はどんな気持ちで隣を歩いていたのだろう。建物の中を歩く権利はみんな同じようにあるのに、当たり前のことなのに、何を謝ることがあるのだろう。

もしも仮にぶつかってしまったら、それは謝るべきだと思う。けれど、ぶつかってもいないのに何を謝ることがあるのだろう。見える人と見えない人なのだ。見える人がよけてあげたらいい、それだけのことじゃないか。こっちは見えるんだから。

反省したし、後悔した

あの日、私がお客様にお声掛けしてご案内をしたことは、特別なことでも何でもなくて人として当たり前なことをしただけだった。言われるまで気づかなかった。そのことが、心の底から恥ずかしかった。

今でもお客様のその時の気持ちは分からないし、もう聞く手段もない。そして、私はもうせりちゃんと同じ場所にはいない。

けれどあの日以来、白杖の方をご案内する度に、私の心にはせりちゃんの言葉が響く。

あの日の私はもういない。

道を開けてくださった方に順番に声をかける。周りの人にも聞こえる大きめの声で。

「通ります!」「(道をあけてくださって)ありがとうございます!」

自分には知らないことも、できないことも、まだまだたくさんある。たぶん死ぬまで、この世の全てを知ることもできない。だから、今日を振り返って明日の行動を変えていく。調子に乗らない。謙虚に誠実に。

過去は変えられない。だから、今に一生懸命取り組んで、できる限りのことをしていくしかないのだ。











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