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「在り続ける」と子育て

樹齢数百年、時には1000年を超える木々がこの地球には存在しています。
彼らは長い時間、風雪に耐え、太陽の光を浴び、大地に根を張りながら、静かにその場に佇み続けています。
その姿は、何世代にもわたる虫や鳥、動物、そして人間たちにエネルギーを与え、拠り所となる存在であり続けました。
この「在り続ける」というシンプルでいて奥深い行為が、どれほど尊く、素晴らしいものであるかを考えさせられます。

樹齢1000年を超える楠

木々がその場に在り続けることは、私たちに「ただ存在する」ということの意味を教えてくれます。
彼らは特別なことをしているわけではありません。大きな成果を誇るわけでもなく、周囲に声高に自己を主張することもありません。
ただ、そこに在る。
それだけで、多くの命に影響を与え、時間とともに生きるすべての存在を包み込むような優しさを見せてくれるのです。
この「存在そのものの尊さ」を、私たちはつい見逃してしまいがちではないでしょうか。

子どもを育てる親として、この「在り続けること」の大切さは非常に示唆的です。
子どもが生まれ、そこにいてくれるということ自体が、実は奇跡のような尊いことです。
しかし、私たち大人はその奇跡に慣れてしまい、時にその尊さを忘れてしまうことがあります。

例えば、子どもが「何かができるようになる」ことばかりに目を向けてしまうことはないでしょうか。
早く歩けるようになった、字が書けるようになった、学校で良い成績を取った……。
もちろん、それらの成長や成果は喜ばしいものです。
しかし、成果だけにフォーカスしすぎると、子どもがただ「そこにいる」ということの素晴らしさを見失ってしまう危険性があります。

考えてみれば、赤ちゃんが生まれる瞬間、親は子どもに何も求めていません。
子どもが泣く声を聞き、初めて目を開ける様子を見ただけで、胸がいっぱいになります。
「生まれてきてくれてありがとう」「ここにいてくれてありがとう」――そんな気持ちで満たされます。
それなのに、子どもが成長するにつれて、私たちは無意識のうちに「できること」や「成績」などに目を向け始め、存在そのものへの感謝を忘れてしまうことがあるのです。

樹齢1000年の木々のように、ただそこに存在していることの尊さに気づくためには、私たち自身が一度立ち止まり、日々の慌ただしさから離れる時間を持つことが必要です。
子どもを前にして、「今日は何ができたのか」ではなく、「今日も元気にここにいてくれてありがとう」と感じられる瞬間を作りたいものです。

また、在り続ける木々は、ただ「存在」するだけでなく、他の生命を支える役割を果たしています。
鳥がその枝に巣を作り、虫が幹に棲み、動物たちが木陰で休む。
木々はその場にいながら、周囲の生命にとってなくてはならない存在であり続けます。
同じように、親が子どものそばにいるということも、言葉にならない大きな安心感を子どもに与えているのではないでしょうか。

私たちはつい、「良い親でなければならない」と自分にプレッシャーをかけてしまいます。
しかし、木々がその場に静かに佇むように、ただ子どものそばにいてあげることが何よりも大切なことなのです。
それが子どもにとっての「拠り所」となり、生きる力を与えてくれるのだと思います。

子どもたちは、やがて巣立ち、大人になり、それぞれの人生を歩んでいきます。
その過程で、たくさんの風に吹かれ、時には雨に打たれることでしょう。
それでも、「自分を受け入れてくれる存在がいる」と感じられる子どもは、何度でも立ち上がり、前に進むことができるのです。

今日も木々は私たちのそばで静かに存在しています。
そして、私たち親も、ただ子どものそばにいるという存在そのものの大切さを見直しながら、子どもたちと1日1日を大切に過ごしていきたいものです。
人生という長い旅路において、親が子どもに与えられる最も貴重な贈り物は、もしかすると「ただそばにいる」ということなのかもしれません。

子どもたちが成長し、やがて自分自身で人生を切り開いていくその日まで、私たち親もまた、木々のようにそこに佇み続ける存在でありたい――そう願いながら、日々を生きていきたいと思います。



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