私、カサンドラやめます
2016年に発達弟と働き、2017年にカサンドラ症候群を自覚してから3年。
この間、カサンドラ症状に悩まされ精神状態が不安定になり、夫婦関係が危機を迎えたり息子につらい思いをさせたりしたこともありました。仕事を失い家を失い今まであったものがふと目の前から消えて失くなったようなこの時期、私の人生はスコールに打たれる行楽のように変わり果てました。
両親と絶縁したのも、娘を亡くしたのも、大切な友人を自殺で亡くしたのもこの時期。何かの罰なのか?と虚無感に溺れながら、それでも何とか肩をブルブル振るわせてここまでやってきた。
私はなぜカサンドラになったのか?
当時から今までずっとその理由や原因について考えていました。以前は精神状態が不安定だったため、そんな状態で出した自分の結論に疑いを持っていましたが、今になって思うとやはりその答えは間違っていなかったのだと感じます。
現在、私の症状はかなりよくなりました。何より一番きつかったフラッシュバックが快方し精神状態が安定してきた。それにつれて妻との関係も、まるで発達弟と関係する前のように甘美な姿へと戻りつつあります。まだ完全でないにしろ、カサンドラの魔女は私に見切りをつけ去りつつあるのだろうなと感じているところです。
私はなぜカサンドラになったのか。そしてなぜ魔女は去るのか。
私がカサンドラになった理由として、昔も今も変わらない私の答えは「発達への期待」です。
「ちゃんと話せば理解し合えるかもしれない」
「わかってもらえるかもしれない」
「自分が相手を理解することもできるかもしれない」
神経毒のように速やかに心を蝕むこのどうしようもない思考は、優しさという名のベールに身を包んで私達をそそのかします。
「理解してあげなきゃ」
「わかり合わなきゃ」
いやムリムリ。
ムリっす。
ミミズと友情を築いてビール一杯奢らせるレベルで無理。
そう、私も無意識のうちに期待していたのだと思います、相互理解を。それは発達に対して非情に徹することができない甘さでもあります。
今も昔も「発達とは棲み分けるしかない」が私の持論です。これは当時の考えや思いを残した手記「ぐっばいカサンドラ」の中でも度々言及しています。
一方で私は、発達と共存する方法があるのではないかと思索してもいます。相互理解は必要ありません。ただお互いの役割を果たし社会的にwinwinの関係を築くことができるのではないか。ホラクラシー型組織にその可能性を見出せるのではないかと考えています。つまり役職など立場に差のない組織体系です。各々の役割を通して相互補助&共栄の関係を築けるなら、定型と発達の垣根は必要なくなるかもしれません。これについては追々お話ししたいと思います。
さて、私はカサンドラをやめることにしました。
まだ全快ではありませんし、小さなフラッシュバックはこれからもしばらくはあると思います。でもカサンドラのカサンドラたる根源とはそうした症状よりもむしろ「発達障害者に気を病む」ことそのものにあると私は考えています。
自分ばかりが誤解され、理解されず、理不尽の中でもがく作業は苦行でしかありません。普通なら自分をそんな目に合わせる相手とは即座に縁を切るものです。カサンドラはなぜそれをしないのか。
どこかに期待があるからではないでしょうか。
優しいからではないでしょうか。
その優しさは本当の優しさでしょうか?
その優しさはあなたを苦しめる毒ではありませんか?
発達を思う限り、カサンドラの魔女は決して私達を解放してはくれません。たとえ発達との関係が良好になっても、事態が好転しても、ほんのささいなきっかけで魔女は私達に怒りや失望、憎しみといった呪いをかけてきます。発達を思うその善良な心こそ、魔女の栄養分なのです。
先にお話ししたように、私は「発達との相互理解は必要ないしそもそも無理」と頭でわかっていながら、それでも無意識的にそれを求めていました。非情に徹することができない甘さがあったのだと思います。
不思議なことに、カサンドラがもっともひどかったころはまるで発達を憎むかのように「共存などしたくない」「同じ空気も吸いたくない」だったものが、症状が緩和するにつれていつしか「何とかなるかもしれない」といういかにもカサ的な思考に戻りつつありました。
そんな自分にハッとし、そして完全に目が覚めたのです。
私はカサンドラをやめます。
それはつまり、感情的に発達に寄り添うのをやめるということ。
この3年間、いえそれ以前に既に私は「発達とは棲み分けるしかない」と答えを出しそれを実行していました。シンプルにそれが正解でそれ以上の正解はないのだと、3年という期間を経て思います。
私、カサンドラやめます。