「お風呂見てきて」→「マジで見てくるだけ」問題
カサンドラ界隈でたびたび目や耳にする「旦那に子どもを見ていてと頼んだら本当に見ているだけで絶望」「お風呂を見てくるよう頼んだら浴槽から溢れるお湯を止めもせず、ただ浴槽を眺めて戻ってきた信じらんない」といった問題。
通称「お風呂見てきて課題(ふろみ課題)」←いま勝手につけた
「発達はなぜ依頼者の意図を汲めないのだろう?」と疑問を感じた私は、ふと↓のようなツイートをしてみた。
もちろん「さすがに小石なんて眺めないだろう」という想定の下である。しかし多くの当事者にご回答いただいた結果、どうやら「小石を眺めに行く」人が多いようだ。
「マ?なぜ?」と思ったが、いただいた回答をまとめてみると、次のような結論にたどり着いた
“依頼の意図を汲めないのは発達特性だが、依頼者に対して意図や目的を確認しなかったり命令に字義通り従ったりするのは、どうやら発達性トラウマと依頼者と受注者の関係性に起因する”
要約すると、ふろみ課題には大きく以下の問題が考えられる。
発達特性と定型特性の齟齬
発達性トラウマ
依頼者と受注者の関係性
ふろみ課題において、依頼者の意図まで見えない発達当事者は依頼者に対し「どういう理由や目的でその依頼をしているの?」と疑問を覚える人は少なくないらしい。しかし、その疑問を依頼者にぶつけて怪訝な顔をされたり叱られたり不機嫌になられたりした過去の経験から、「余計なことを訊かず指示通りに従おう」と判断するケースが多いようだ。結果、「外の石を眺めてきて」という意味不明なオーダーにも、疑問を抱きつつ素直に従う──というわけだ。つまり発達性トラウマの一種だろう。
次に、依頼者と受注者の関係性も重要である。たった今これに関連する反応をツイッターでいただいたので引用する。
聞く耳を持たず問答無用に相手を責め立てるタイプの人間を相手に、質問をあきらめたり余計な刺激を与えないようにしたりするのは容易に想像できる。これがもし発達障害に理解があり、対策を知っており、寛容な態度で余裕を持って接することができる人間が相手なら、両者のコミュニケーションに大きな問題は生じないはずだ。
しかしここ(つまり関係性の問題)を解消するのはかなりハードルが高いと個人的に思う。なぜなら定型の多く(世の中の多くの人々)は、“自分と異なる感性や脳機序を持つ人が世の中に存在していることを知らない”からだ。
私もその一人だった。
世の中に色々な人がいるのは知っていた。
しかしこんなにも脳の特性が異なる人々がいるとは夢にも思わなかった。
なまじ中学生くらいで脳科学に興味を持ってしまったせいか、「人間とは画一的なシステムを持つものだ」と思い込んでいた感が否めない。
今こうして発達理解を進行できているのは、発達障害者である弟の日常(私からすれば事故現場のようなもの)に触れたからだ。彼の周りで起こる数々の事故を目の当たりにしなければ、つまり私自身がその事故の当事者にならなければ、いまだに「世の中の人達は自分と同じシステムで動いている。たまに変なのがいるが、それはライフスタイルだったりファッションだったりそれぞれの趣味嗜好が反映された選択的な結果だろう」と思っていたに違いない。
ひとまず、ふろみ課題の効果的な対策は「マニュアル化」と「人間関係」ということで落ち着いた。両者を健全かつ良好に構築できれば、少なくとも最低限のハードルは越えられると思う。しかしその先に我々が想定できない数々のハードルが待ち構えていることを私は知っている。
当該トピックの元ツイ↓
リプや引用が参考になるので、特に発達障害者への対応が必要な人におすすめ。
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今の私に考えられる最善策を記述。
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