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半分の労働時間で売上倍増。漁師の常識を覆す「完全受注漁」が家族に幸せをもたらした

邦美丸

取り組みの概要
収入源への不安から漁に出れば獲れるだけの魚を獲り、1日15時間労働も当たり前だったという漁師の仕事。結婚を機にこの世界に足を踏み入れた富永邦彦さんは、漁師の娘として育った妻の富永美保さんとともに「家族の理想の幸せを実現する働き方」を模索。たどり着いたのは、消費者への直販で利益を得る「完全受注漁」だった。顧客からの事前注文に応じられるだけの漁を行うため、労働時間はかつての2分の1。かつ売上は倍増し、コストは30%減少するという大きな結果を生み、地元を中心に同業者である漁師にもノウハウの輪を広げている。また、持続可能な漁業の実現に向け、水産資源の乱獲を防ぐ取り組みとしても注目されるようになった。

取り組みへの思い
私たちの親世代の漁師は、自分や家族の時間を犠牲にして働くことが当たり前。その情熱をリスペクトしつつも、同じやり方では自分たち家族の描く理想の幸せを実現できないと感じていた。収入を維持しながら労働時間を減らし、家族とともに過ごす時間を増やすには? その一点から持続可能な新しい漁業のあり方を模索し完全受注漁にたどり着いた。幸せのあり方を夫婦ともに本気で考え、実行したからこその成果だと考えている。(富永 邦彦さん、富永 美保さん)

受賞のポイント
・消費者へ直販する完全受注漁に転換
・地元同業者へナレッジ共有
・異業種からの新規参入者も受け入れ予定
→労働時間を削減しながら売上・利益は大幅増。働き方改革を成し遂げたことで家族の笑顔を取り戻した。

新たなビジネスモデルによって漁師の働き方を大改革

「漁師」という働き方について、私たちはどれだけのことを知っているだろうか。自然を相手にする厳しい仕事だという認識はあっても、その実情を本当に理解する人は少ないのかもしれない。

「市場での魚の売値は安定せず、近年では売上減少傾向が続いています。単価が安いからできるだけたくさんの魚を獲らなければならない。だから漁師は、まだ夜が明けないうちから海に出て、日が沈む頃まで働き続けることが当たり前になっているんです」

富永さん夫妻はそう打ち明ける。漁獲高を増やすには長く働くしかない。その現実が業界では当たり前のこととして受け止められているのだ。しかし富永さんたちは従来の常識に縛られず、消費者への直接販売で利益を得る新たなビジネスモデルを見出した。2人だけで始めた改革の背景には何があったのか。

“ノリと勢い”で飛び込んだ漁業の世界は、想像以上に過酷だった

瀬戸内の豊かな海に面した岡山県玉野市の胸上漁港。富永美保さんはこの町で、漁師の娘として生まれ育った。知人の紹介で、後に夫となる邦彦さんと知り合ったのは18歳のとき。大阪府出身の邦彦さんとは遠距離恋愛が続いたという。

「結婚を前提にお付き合いを進める中で妻の家業が漁師と知り、大阪で生まれ育った自分は物珍しさから興味を持ったんです。それで義父に『結婚して漁業を継ぎたいです』とお願いしました。すると義父からは『結婚はいいけど漁師はダメだ。あまりにも大変な仕事だから』と言われました」(邦彦さん)

「漁師は収入も働き方も不安定。だから父は後継ぎがいない不安を抱えつつ、誰かに同じ仕事をさせるのは忍びないと考えていたようです。ましてや夫は都会育ちで、漁業のことをほとんど知りませんでしたから」(美保さん)

それでも「ノリと勢い」で頼み込み、結婚を経て漁師見習いを始めたという邦彦さん。しかし待っていたのは想像をはるかに超える過酷な日々だった。

漁師は自分の都合で予定を立てられるわけではなく、生活のすべてを海の状況に合わせなければならない。獲れるときに魚を獲ってしまわなければ、次のチャンスがいつ巡って来るかも読めない。悪天候で漁に出られないときも漁具や網の手入れに追われる。時には24時間不眠不休で働き続けることもあった。

「そんな日々が続いて、当初の勢いはどんどん削がれていきました。2年が過ぎる頃には完全に挫折して、一度漁師を辞めたんです。最初の子どもが産まれたばかりのタイミングだったこともあり、そのまま岡山に残って会社員として働くことにしました」(邦彦さん)

周囲を見渡せば、後継ぎがいる漁師家庭でも誰も継がないケースが増えていた。しかし当時の邦彦さんには、漁業の将来を考える余裕などなかったという。ただ、会社員として働く中でも漁業への思いが完全に消えたわけではなかった。

「せっかく岡山に来たのに、なぜ俺は会社員をしているんだろう?」

自問自答を重ねる中で出した答えは、再び漁師の仕事に挑戦することだった。

左から、富永 美保さん、邦彦さん

飲食店への営業アプローチから「完全受注漁」が始まる

とはいえ、以前とまったく同じ働き方で漁師を続けられないことは痛いほど分かっていた。収入を維持しながら働き方を変えるためにはどうすればいいのか。夫婦で知恵を絞り、「産地直送」を謳う地元の飲食店で営業をかけ始めたのは2017年のことだった。

「タウンページなどの情報をひたすら追いかけ、産直素材の活用を掲げる居酒屋さんなどに片っ端からアプローチして、『必要な魚を獲ってくるので発注してください』とお願いしたんです。当初は従来通りの市場出荷と直販の二刀流でやっていくつもりだったので、焦らずにじっくりと取引先を増やしていきました」(美保さん)

胸上の漁師は伝統的に、4〜9月を底引き網漁の時期とし、10〜3月は海苔養殖によって生計を立ててきた。夫妻が改革に取り組んだのは春から夏にかけての底引き網漁。飲食店などの取引先を開拓し、料理に使うための魚を必要なだけ獲る「完全受注漁」がスタートしたのだ。

その日に必要な分だけの魚を確保できれば漁を終えられるため、邦彦さんの働き方は大きく変わった。通常の底引き網では漁師が1日あたり10回以上は網をすくうところ、邦彦さんの場合は5回に満たないことも多いという。朝の6時頃に出漁し、順調に進めば昼前に港に帰ってくることもある。

さらに邦美丸として直販サイトを立ち上げると、個人からの注文もどんどん増えていった。完全受注漁の規模は年々拡大し、2022年からはついに直販1本に絞ることになる。

「現在は多い日で20件ほどのご注文があり、飲食店などBtoBの受注も含めれば、1日の売上が20万円ほどに上ることもあります。リピーターになってくださる個人のお客さまも増え、全国各地からご注文いただけるようになりました」(美保さん)

そもそもの目的は働き方を変えることだったため、売上増は副次的な効果と言えるのかもしれない。しかしその規模は想定を大きく上回っていた。

「従来型の市場出荷のみでやっていた時代と比べて、売上規模はほぼ倍になりました。労働時間が半分になったのに売上は倍増したんです。また、漁の稼働時間が短いため漁具の消耗頻度が下がり、コストは約30%減少しています。何よりも気持ちの面で、かつての『とにかく獲り続けるしかない』という不安から解放されたことが大きいですね」(邦彦さん)

漁業への新規参入者が増え、ベテランの意識も変わった

完全受注漁の実践によって新たな働き方を手に入れた邦彦さん。妻の美保さんは「以前とはまったく表情が違う」と話す。2人は、ずっと思い描いていた家族の理想像を実現しつつある。それは売上よりもずっとずっと大きな成果だった。

保育園へ迎えに行き、一緒に帰宅する日々が「求めていた本当の幸せ」

「ウチには3人の子どもがいますが、上の2人のときはまったく子育てに関われず、妻に任せきりになっていました。子どもが寝ている時間に働き、子どもが起きている時間に寝る。とにかく稼ぐのに必死で、それ以外のことは何も考えられませんでした」(邦彦さん)

それが今では、保育園に通う第三子を迎えに行くことが邦彦さんの日課となった。毎日16時には保育園へ行き、子どもと一緒に近所の神社にお参りしてから帰宅する。そして家族そろって食卓を囲み、一緒にお風呂に入って、一緒に布団に入る。「こうした日々こそ、自分が本当に求めていた幸せなんじゃないかと思うんです」。邦彦さんは相好を崩しながらそう話す。

となりで深く相づちを打ちながら、美保さんは「子どもたちの絵」に関するエピソードを紹介してくれた。

「私がワンオペで育児をしていた頃の夫は、いつも険しい顔をしていました。だから上の子が小さい頃に描いたパパの似顔絵には深いしわが刻まれているんです。でも今、子どもたちが描く絵にはしわがありません。似顔絵のパパはいつもニコニコと笑っています」(美保さん)

一つの家族に理想的な幸せの形をもたらした完全受注漁。2人は今、その成果をさらに多くの人へ広げたいと考えている。法人化を前提として、「初めての社員」を迎え入れる計画を進めているのだ。新しい仲間になる予定の人は、かつての邦彦さんと同じく漁業未経験者だという。

「短時間労働や週休2日が当たり前の漁業なら、新規参入者も増えていくはず。そして、既に漁師として活躍している方このやり方にシフトしていくことにも意味があると考えています。実際に、一度現場を離れた元漁師さんから『完全受注漁ならまた漁業ができるかもしれない』と問い合わせが来たことも。体への負担が小さければ年を重ねても漁業を続けられるし、経験豊富であればあるほど、私たちより短時間で大きな売上を上げられるかもしれません」(美保さん)

「以前の私は、漁師志望者を増やすためには儲かる漁業が必要だと思っていました。でも実際はそうではなかった。漁業に興味を持つ人たちが最も気にしているのは、働き方の面で持続可能なのかということです。だからこそ私たちの取り組みと成果を多くの人に知ってもらいたいんです」(邦彦さん)

地元漁師たちの間でも完全受注漁の取り組みが広がる

完全受注漁のビジネスモデルは、今もなお進化の真っただ中にある。

邦美丸へ見学に訪れたある大学生からは「せっかくサステナブルな漁業をやっているのに、トラックで遠い県へ運ぶために燃料を使っていたら意味がない」と指摘された。そこで現在は「完全受注漁×地産地消」に取り組み、胸上で獲れる魚を使った新たなメニュー開発を地元飲食店へ提案しているという。

「たとえば、このあたりでは黒鯛という魚がよく揚がります。これまでは高値で取り引きされることは少なかったのですが、地元の飲食店なら超新鮮な状態で仕入れ、おいしい料理として提供できるため、どんどん需要が高まっているんです」(美保さん)

邦美丸の取り組みには、胸上で操業する地元漁師たちも大きな関心を寄せている。胸上漁業協同組合長の息子であり、漁師歴5年目を迎えた國屋龍之介さんもその一人だ。

「これまでの漁師は、収入を取るか自分の時間を取るかのトレードオフになっていました。胸上の底引き網漁では今でも、1日15時間ほど漁に出ている人も珍しくありません。でも邦美丸さんはその半分以下の稼働時間で、従来のやり方よりもたくさん稼いでいる。その実績に興味を持つ人が増え続けているんです。漁協としても邦美丸さんのやり方に全面的に賛同し、必要であれば何でもフォローできる体制を整えています」(國屋さん)

國屋さん自身も少しずつ受注漁の取り組みを開始。富永さん夫妻のアドバイスをもとにインスタグラムのアカウントを開設し、漁の様子を発信するなどして顧客開拓を進めている。「少し前なら、漁の最中に写真なんて撮っていたら父に怒鳴られたものです。でも今は父も新しい取り組みを理解し、にこやかに写真撮影を見守ってくれています」と笑う。

邦美丸が体現する新たな漁業のあり方は、胸上を中心として着実に広がりつつある。夫妻は「将来的には市場単位で受注漁ができるようになれば」と展望を語ってくれた。

「コロナ禍では魚の需要が急減し、市場から各漁師へ『しばらく漁獲高を抑えてほしい』と通達が来たこともありました。このように市場では需要予測に使えるデータを豊富に持っていますし、季節ごとの漁獲傾向も把握しやすいでしょう。その知見を生かして市場がプラットフォームとして機能すれば、『地域ぐるみでの完全受注漁』を実現し、すべての漁師さんに必要な数だけオーダーできるようになるかもしれません。すべての漁業関係者と消費者がwin-winの関係になれるよう、これからも私たちにできることを追求していきたいと考えています」(邦彦さん)

WRITING:多田慎介
※ 本ページの情報は全て表彰式当時の情報となります。

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