永福寺と鎌倉御家人から新たな学び
NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が放送されているということもあり、鎌倉への注目度が上がっていると聞きます。今回はそんな鎌倉のことについて知るべく、神奈川県立歴史博物館の特別展に行ってきました。
特別展:源頼朝が愛した幻の大寺院 永福寺と鎌倉御家人ー荘厳される鎌倉幕府とそのひろがりー
この特別展に実際に行き感じたことに加えて、特別展の図録を読んで感じたことを記事にしていきます。(特別展は今も開催されていることを考慮しネタバレになりそうな内容は極力省いていますが、一部ネタバレがあります。)
【歴史の継承】
日本の寺院をお目当てに日本にやってくる観光客も大勢いる。このことからも分かるように、日本にとって寺院は世界的に知られている日本の魅力といえるだろう。
日本には再建されているものがほとんどではあるが、昔ながらの建物が残っていたりする。しかし、建物を後の世代に継承していくのは容易なことではない。ただでさえ、地震大国である日本はこれまでの数多くの地震によって(二次被害も含む)多くの建物が失われてきたことは想像できる。近代では戦争の戦火に呑まれた建物も多くあったのではないか。
再建をするにしても多くの時間とお金、地域住民の協力が必要不可欠になる。様々な困難の中でも後の世代に継承することを諦めなかった先人がいるからこそ私たちが生きる今の時代まで継承されている。歴史を近くに感じることのできる有難さを考えさせられた。
【昔の人の知識】
寺院を荘厳に見せるために日想観のような太陽の光を使った工夫をしていたのは驚いた。
今でこそ太陽の昇る方角や沈む方角は分かるが、平安時代や鎌倉時代はどうだったのか。平安・鎌倉時代に太陽についてどこまで分かっていたのかについて正直私は分からない。(勉強します…)しかし、太陽の光を計画的・戦略的に用いられていたということはある程度太陽が通る道が分かっていたのだろう。当時にその技術と発想があったことに驚いた。
【交流】
私の中では、昔の建物はその地域の文化や材料のみで作られていると思っていた。車や電車などの交通手段が昔にはないから文化や材料は地域の特徴のみが反映されているのだろうと考えていたのだと思った。しかし、よく考えれば縄文・弥生時代でさえも遠方との交流があったのだから平安・鎌倉時代にももちろん交流がある。
昔の建物を見る際、他地域とのつながりを意識して見たことはなかった。実は他地域の影響を受けたり、材料を使用していたり他地域との繋がりが建物からも分かるのだと新たな発見になった。
【人との繋がり】
展示されている調査ノートなど見てふと感じたことがある。人が書いて後世に残したのだと人間を感じた。今の時代、機械が発達しているということもあり人に何かを伝えるときに直筆で書かれたものを利用する機会が減ってしまった。なにか壁のようなものを感じ、遠くから伝わってきたような感覚が当たり前になっていたのだと気が付いた。今回の展示で、人が後世に残してくれたのだと肌で感じることができ、それが少し嬉しかった。
これは、メールより手紙のほうが嬉しいだとかいうことと似ているのかもしれない。
やはり、どれだけ時代が変わって便利な世の中になっても、時代を超えた関係だとしても人との"直接的な"繋がりは大切なのだろう。
今回この特別展に行き、沢山のことを学べたり感じることができた反面、まだまだ分からないことこれから知りたいことが多く出てきました。この新たな発見を今後の学びに活かしていこうと思います。
夜空の学び屋
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