脳の習慣に対する理解

習慣というのは訓練しなければ習慣化しない
というのは誰でもわかると思う。

それは全てに通ずることなんだということも理解しておきたい。

というのは、習慣を1日1時間勉強するやご飯に野菜を取り入れるとかそーゆーわかりやすい大きなものだけを考えがちだけれど、考え方とか物の見方みたいな小さな、だけど長期的には大きなものも習慣なのだ。

本を読めば情報が手に入った気になって満足してしまう。だけどそれを実践し習慣化してこそその値段分以上の価値が得られるのであってただ読んだだけでは時間を無駄にしているのかもしれない。

だけど、その情報はすぐに反映されるわけではなく、どこかで分かりにくく小さく反映を忘れかけてた頃に受けるから人間は実感を得られず辞めてしまう。

今ニュースを見るように心がけている。

まず無知な僕は莫大な情報をとりあえず頭に入れパンクする。

その中で中途半端な知識「ネットには正しい情報と誤った情報がある」があるから得られた情報の中で真偽を考える。

だけど当然手持ちのカードの情報を掘ってもない中でほぼ初見状態で持っているため真偽を確かめるそのようなカードは持ち得ていない。

そして挫折を感じ辞めてしまう。

これはどの分野でもそうだと思う。

野球でも知ってる知識はかっこいい野球選手の取り方や打ち方で、それにかかった代償などは知らないので真似てみて出来ずに才能はなかったとか環境が悪かったなどの適当な言い訳をつけて辞めてしまう。

起業でもそうだろう。自分が知ってる起業家はかなり有名な大きな企業の社長さんしかおらず年収何十億も稼ぐ人を目標高々に掲げるので、少し躓いた時に才能など諦めやすい言い訳を思いつくのだ。

その始めた時の持ってるカードの少なさと使い方の知らなさ、それと脳の順応だと思う。

持ってるカードはインプットされた物、使い方はアウトプットした物。

インプットは地道に地味にいろんなところにアンテナを張り常にやらなければいけない物。

これはニュースを見るとか本を読む以外でもたくさん日常生活に溢れている。

これを気づくようになるのは習慣だ。

習慣は脳の順応が必要だと思ってる。脳がその物事に慣れ、整理され、頭の中に情報を圧縮された後にまた新たな情報が入る隙間が得られる。

デスクトップがぐちゃぐちゃだとどこに何があるのかわからないという状態と一緒だと僕は想像している。

そしてその整理、圧縮は時間がかかる。

なぜかというと、人間本能的に新しい物事にはネガティヴに作られている。自分が得たいと思っている野球の技術や起業の心得などは前の自分は知らなかった知識であるからそれを僕たちの脳は取り入れることを拒絶する。

新しいことに踏み込めない人が多いのは本能でそう出来ているからだ。

昔の人は未知のものを試す危険が高すぎた。
新種の食べ物は毒があるかもしれない、新たな土地は寒すぎるかもしれない。知らない場所は獰猛な動物がいるかもしれない。

そんな死のリスクを高めるよりかは知ってる範囲で生きた方が生きる確率はそれは上がる。

それが脳の構造に入っており、今日まで生きてきた僕たちはその危険を冒さなかった、あるいは回避してきた遺伝子であるため、より強くその習慣はインプットされている。

だが、それも面白いもので安全だとわかればすんなり受け入れてくれるのも習慣、脳のいいところだ。

最初はその状況や情報に対してネガティヴな感情を出してきた脳であってもそれを続けてきてその状態が死に直結せず、慣れてきた頃に整理を始める。

それには時間的に当たり前だが、ログがある。

だが、一度受け入れてくれた脳はその情報や状況に対しては友好的に接してくれる。このことを知っておけば最初の苦手な感情は脳のリハビリ期間だと理解でき、もー少し頑張ることができる。

そして目標値を高く設定することもそこまでの道のりを不透明にさせ、脳をより不安にさせることがわかっているので(誰も未開の地に行きたくはないしかもそこは大抵厳しい)

目標を低く設定したり、その目標を知るためにまた情報を知っていくという循環が生まれる。

そうして一歩一歩階段を登ることによって以前は未開で想像しかできなかったところに自分の予想が入ることができる。

脳はネガティヴに出来ていることを知らないといけない。

そう言いたかったのかもしれない。

ネガティヴに出来ているから僕らの祖先は生きて僕らまで繋げてこれたのである。

だが、今世は行動しないものに冷たい

だから脳のメカニズムを知ってこの感情はしかたない太古からのものであり一時的なものであることを習慣化していかなければならない

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