対価をもらわないと自分を使わない私たちへ
この社会、労働力を提供してお金をいただく労働者が大半でそれで成り立ってるこの世の中
自分が動くのに見合う分のモノがあるから動くのであって何もなければ動かないのは至極当然のことなのかもしれない。
だけどそれが当たり前すぎて奉仕の心は何処へいったのやら、皆、目の前の報酬に囚われすぎじゃ無いのか?とたまに思う。
今は無意味に見えるようなモノでも、それによって今後いく方向としてはとても価値のあるモノであればそれは行うべきだと思うし、それは人から対価をもらうと言うモノではなく自分で取りに行くもので動く同期が全然違うのではないか?と。
それでもこの日、この月もらえる金額に一生懸命になり五年後、十年後の為に動こうとはしないのは何故なのだろう?
その日、その月、もしかしたらその年は得られないかもしれないがそれで得られるのはすぐに消えゆくお金じゃ無いかもしれないのだ。
そう、お金は大事だけどお金のためだけに働くのは違うのでは無いかと言う意見だ。
スキルアップのためなど自己投資がいまの10〜30代の人は必要不可欠なのだ。
お金を払って自己投資も当然必要だが、働く目的を若い年齢からお金に重きを置くのはもったいないと思う。
そういう自分も高校卒業から働き出した身だが、高校の時の就職先を選ぶので見ていたのは月給だけであった。
なんと情けない、今の人たちはそうでないことを祈るばかり。
そこで働く意味とすれば、今後どう動くかわからない世の中で自分がその会社だけに依存して生きていく事がないようにスキルや知識を蓄える。そんな機会が1番得られそうなところに行く事だと考える。
貧乏の方がやりくりしていかなければいけないことも多く、その分節約を考える。
節約は食べないとか買わないとかの安直なものではなく、払う必要のないものを知ることや自炊と外食の差を知ること、自分に本当に必要なものは何なのか、その優先順位や質はどのくらいなのかなど社会や自分のことを知るきっかけにもなる。
そうすることによって、本来でなくて良かった金をストップでき、その分自分が必要なものや今後のことも考え始め、その中で自己投資や資産投資の方面へと広がる。
やはり若い時は苦労と貧乏は経験しておかなければいけない。
そしてお金を第一ではなく、経験を豊かにさせていく必要がある。
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