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本が読めない

Twitterにどっぷり浸かってから、幾つの年月が過ぎたのだろうか。
読書だけが誇れる趣味だった私は、手軽に文章が読めて共有ができるツールであるTwitterが生活へ侵食してきた。かつてはトイレですらも読書をしていた私は、いつしかトイレへの本の持ち込みからスマートフォンの持ち込みに変わり、校閲を通していない質の悪い文章から悦びを得るようになった。
いつからだったのだろう。小説の一気読みが出来なくなったのは。

実家に帰ったタイミングで積んでる本を全部新居に引き上げようと、本棚の整理をしつつパラパラとページを捲ったりしていた。
あれ、思ってるよりスムーズに読めない。頭をすっからかんにして目の前の文章だけに没頭することが出来なくなっている。明らかに頭の邪念を切り崩せない。
頭の片隅にずっとTwitterがいる読書は楽しいか?
私は思っているより深刻なTwitter依存なのかも知れない。

今は実家で積んでいた夏目漱石のこころを読み進めている。
開始数ページで「まだ終わらないんですか?」などと舐めた感想を抱くという、140字に慣れさせられた弊害みたいなのが出ている。
これでも文学徒を名乗っているの、恥ずかしくなってきた。
描写細かすぎ〜、夏目漱石と文通したすぎる〜などと、分裂した人格がずっと後ろで喋っており、迷惑この上ない。この頃の人格分裂が激しすぎて、日本語を操っている時にしか彼らは引っ込んでくれない。

私はこの先大好きだった、あの読書を取り返すためにどうすればいいのか。
活字との向き合い方をTwitterだけじゃなくて、校閲の通した文章に切り替えていく必要が大いにあるんだろうとは思う。Twitterの手軽さを完全に無視した、本との付き合いを考え直さないと、この先私の作家人生に成長はないのでしょう。
しっかりとした本離れを体感した私が本と再び仲良くなる様を見届けてください。

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